食べ物と私

食べます。

帰りたい日のお弁当

リリリ、と電子音で目を覚ます。

不快な朝。まだ外は暗い。

 

起き抜けにスマホを見れば、緑色のアプリに、通知が一件。

最近は外との連絡が嫌すぎて通知を切っているのだが、だからといって連絡が来ないわけではないのだ。見ないわけにもいかない。

 

渋々アプリを開き、絶句。

 

嫌なことはとことん続くのだと、そう書いてあったのは森絵都さんの『カラフル』だったか。

 

追い打ちのような連絡に、午前六時にして私の心はもう粉々である。

絶望が過ぎる。まったくもって最悪な朝だ。

 

しかし嘆いてもいられない。今日は実質11時間拘束される。

これ、労働なら普通に違法なのにな、なんて思ってみても仕方ないため、私はぬるぬるとキッチンに立った。

 

一日中用事がある時、私はよくお弁当を作る。

 

弁当を作ることが偉いのかどうかは知らない。

確かに、材料費は長い目で見ればお弁当の方が安いのだろう。

しかし、朝の貴重な時間を削り弁当箱の隙間を埋め、家に帰ってその弁当箱を洗う手間を考えた時、買って済ませた方がいいのではないかという結論に落ち着きそうになる。

 

ただ、何と言っても驚異の11時間拘束。

昼食以外にどうせコンビニで何か買ってしまうことは目に見えているのだ。

そうなると、少し節約しないとな、なんて思考になってくる。

 

いつかの私がカップに小分けにして、冷凍していたおかずを解凍する。

冷凍食品は使わない。特にポリシーがあるわけではないのだが、冷凍食品は割高な気がしてしまうのだ。

 

お弁当に欠かせない電子レンジ。

ごはんと冷凍しておいたおかず、昨日の残りを温める。これで弁当の8割は完成。

あとやることと言えば、皮なしの安いウインナーと、甘い卵焼きを作ることくらいだ。

ボウルに卵を溶き、塩と砂糖を入れる。

フライパンでくるくると巻いて、全てを適当に詰めてしまえば、完成だ。

 

f:id:zenryoku_shohi:20211001135018j:image

 

朝の三時間が一番、集中力の高い時間らしい。私もそう思う。

だというのにその貴重な時間をなぜ、私は通学準備に使わなければならないのか。

 

ぐっと弁当の蓋を閉めながら、盛大にため息を吐く。

本当は弁当を作るよりも、この時間にやりたいことは沢山あるのだ。

 

今、この一瞬も紛れもなく自分の時間なのに、どこか吸い取られているような。

どんどん傾いているような。

この感覚が、私は酷く嫌いだった。

 

それでも私はきちんと弁当箱を包み、箸と水筒も用意する。

社会性は案外機能してしまうのだ。

 

家を出る直前、右手に感じる弁当バックの重さに辟易してしまう。

地獄は確定している。

今はただ、この忌まわしい弁当が昼間の私を元気にしてくれることを切に願うだけだった。