私の祖母は料理が好きだ。
あるあるなのかもしれないが、祖母祖父の家に行くと毎回大量のご飯が出てくる。
寿司は定番、焼き魚やお肉、農家ならではの野菜たち、フルーツに、冷凍庫にはアイス。
本当に、本当に食べ切れないほど沢山の料理が机に並ぶ。
食べ切れない……と思っているのについつい箸が動いてしまうのも考え所だ。
そしてその中に、私のお気に入りが一つ。
名前は分からない。多分祖母も知らない。
手羽元と卵が、なんか美味しい感じに煮込まれているやつだ。
多分、母もこの料理が好きだったのだろう。
祖母の料理の中にはいつもこの手羽元が並んでいたし、私の家に遊びに来た祖母が持ってきてくれたこともある。
しかし、料理好きな母がこの手羽元を作ったところを、私は見たことがない。
正しく言えば再現できなかったらしい。
私がこの手羽元の話を母にした時、母は少し困ったような、悔しそうな顔で苦々しく言った気がする。作れないのだ、と。
同じレシピでも味が変わる。
『家庭の味』、『お袋の味』なんて単語が出てくる所以であり、料理の厄介な所だろう。結局はフィーリングなのだ。
一日消費期限の切れた手羽元をフライパンに並べていく。
適当に表面に焼き目をつけて、たっぷりめの酢とみりんに、砂糖、しょうゆ。あとは落し蓋をして放置だ。
私だってこの手羽元が好きだった。
作ってくれる人がいない今、食べたくなったら自分でどうにかするしかない。
そう思って祖母にレシピを聞いたが、結局私も上手く出来ず、いつも首をひねっていた。
だから今回もそんなに期待していなかった、のだが。
……これは。
見覚えのある色だった。てりっとしていて、濃すぎないやわらかな茶色。
適当に盛り付けて、一口。あたりだ。
ちょっとびっくりしながら二本目に手を伸ばす。
ほのかに酸っぱくて、でもそれより甘く、やさしい味。
出来ている。同じだった。
料理好きの母ですら再現できなかった手羽元を、私は完成させてしまったのだ。
口に広がるなつかしさに舌鼓を打ちながらも、最初に浮かんだのは紛れもない優越感だった。
お母さんに食べてもらいたいなぁ、と。
優しい心からではなく、ちょっと嫌な部分からそう思った。
美味しくて嬉しかったのが一転、途端に曇り空が蔓延ってくる。
凄い。偉い。
評価とか上とか下とか、そういうもので鼻高々になったり追われたりするのは、もう本当にうんざりなのだ。
どうせいつか皆死ぬ。そんな狭いことを気にしていたって何の役にも立たない。
ただ心がヒリヒリと荒んでいくだけなのだ。
私はもう、それをきちんと知っているのに。
それに、今日成功した味をもう一度作れるかどうかは、正直怪しいところではあるのだ。
あまいタレで汚れた口元を拭いつつ、鶏の残骸を見る。
やっぱり好きなのはおばあちゃんの作る手羽元だな、と、逃げるみたいに私はそう思った。