溺れるような日々だった。
新しい学期に急かされること早三週間。
脆弱な私にはそろそろ疲れがたまってくる頃で、ちょっと何も考えたくなくなってくる。
それでも今日、その波がひと段落する予定だった。
朝、「冷蔵庫にコーヒーいれといたよ!」とのラインを確認し、眠る同居人を起こさないように準備を始める。
冷蔵庫を開けると、市販のブラックコーヒー。
昔は入れる、じゃなくて淹れてくれてたけど、最後に飲んだのはいつだろうか。
私は淹れるのにな、なんて下らない思考に捕らわれている辺り、調子が良くないんだろう。元々かもしれないが。
キッチンに立ち、ハムを温まったフライパンに。
その上から卵を落とす。黄身がつるん、と滑って上手くハムに乗ってくれない。
二人分の朝食。
やらなきゃいけないことをさぼった昨日の罪悪感に、まだ後ろ髪をひかれている。
さぼることが悪いことだとは思っていないのだ。もう。
それでも中学、高校と、さぼったことが無かった私にとって、罪悪感はもはや癖のようについてまわるようになっていた。
小学生の頃、私はよく泣く子だった。
単純に学校に行きたくなかった。
いじめられていたとか、そんなこともない。それでも学校が嫌いだったし、家が好きだった。
母も父も困っていたように思う。でも私だって困っていた。
泣きながら学校に行き続け、私はいつしか泣かなくなった。
焼けたトーストにマーガリンを塗り、レタスを置く。
うまい具合に火の通ったハムエッグを雑にのせれば、私が食べるにしては少し出来過ぎた朝食の完成だ。
薄くて冷たいコーヒーを飲みながら、トーストを食べる。
レタスもハムもなかなか噛みちぎれなくて、すするように食べてしまう。
本当は高校も中学も、さぼってみたかったな、てかさぼっちゃえばよかったのにと思うのだ。
お母さんとお父さんに隠し事をしたって、先生に嘘を付いたって、いい子、優等生でいられなくたって、別に世界が終わるわけじゃない。むしろ逆だ。
無理矢理やりたくないことをし続けて、死んでしまうのは私自身だろう。
言い訳にも聞こえるよな、なんて思いながらお皿を洗う。
しかし昨日少し出来なくったって、私は毎日朝食をつくっていて、後片付けだって出来る。
何だか人生それだけでいいような気がしてしまうのは、やっぱりちょっと脆弱だろうか。
パソコンの電源を切り、出かける準備を整える。
今日は曇り空。もしかしたら、あまりいいことにはならないのかもしれない。
あの頃から成長しきっていない、あどけないままの気持ちを抱えたまま。
それでも私は、ドアを開けるのだ。