食べ物と私

食べます。

見た目が残念、弁当にわたし。

目が腫れぼったい朝。

泣いたわけではない。昨日から右の瞼が腫れているのだ。原因は分からない。

普段、予定のある日はまず化粧から始めるのだが、今日は化粧も悩みどころだ。

片方の目にだけアイシャドウをのせるわけにもいかない。

 

さっそくルーティンを崩され、上手く働かない頭のままキッチンに立つ。

今日は終日、予定の詰まった日なのだ。

 

冷蔵庫を開けると、昨日の夜に焼いておいた鶏肉と、にんじんのきんぴらもどきが眠っていた。まずはこれを温める。

 

レンジが稼働している間に、たまごやきを作り、ウインナーを焼く。

丸いフライパンでどうにか卵の形を整えながら、ピー、というレンジの返事を聞いた。

 

そういえば、いつも何となく冷蔵庫に入っているおかずを温めてから弁当箱に詰めるのだが、弁当のおかずを温めるのには何か意味があるのだろうか。

どちらにせよ食べる時には冷めているというのに。

 

目の違和感にささくれつつ、レンジに第二弾、冷凍品を投入する。

あたためも解凍も、ずぼらな私は「あたためスタート」のボタンで済ませてしまうのだが、これもあまり良くない気はしている。

 

普、段家で食べる時は昼食なんか取っているのかいないのか分からないくらいなのに、いざ弁当となるとこう本腰を入れてしまう。

自分のためのご飯にこれだけ力を入れるのは、弁当の時だけなのかもしれない。

 

主役たちが揃ったら、クリーム色をした弁当箱に適当に詰め込んでいく。この作業が私は得意ではない。

 

しかし、まあ今日はいつもよりは彩りのいい昼食になったような。

 

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とはいえこの弁当箱、思いのほか蓋の主張が強く、結構弁当の中までしっかり浸蝕してしまうのだ。

したがってこんなに立体的に持ってしまえば、食べる頃には潰れてしまう。どうにも私は学習しない。

きっと今日もぺしゃんこなたまごやきを食べることになるんだろうな、と思いながら、ぐっと蓋を押し込めた。

 

食べる頃には消えてしまう温度。

食べる頃には崩れてしまう見た目。

 

食べる頃に無くなってしまうものが気にならないくらい、美味しいお弁当を作ろうと、必死になっているお母さんや業者はたくさんいるのだと思う。

そんな人たちと比べる必要がないことは百も承知だ。

私は私のために弁当を作っている。

 

でも、やっぱりどこか勿体ないな、と思ってしまうのだ。

せっかく早起きして、せっせと小さな隙間を埋めて。

その健気な労力が、ちょっと潰れてしまうような。消えてしまうような、そんな感覚。

それに、私が一番嫌いなものは、冷めていくごはんを見ている時間だった。

 

ため息を吐きながら弁当を包む。

まあそんなことを言いつつも、きっと昼間、空腹を抱えた私がこの弁当に救われるのは確定している。

きっとそれだけで十分なのだろうけど。

 

今はただ、瞼に蔓延る嫌な熱だけが悩ましかった。