食べ物と私

食べます。

嫌いな時間と肉豆腐

スーパーへ行こう、と約束したのが昨日。

そして絶賛昼夜逆転中の同居人を待っているうちに、日が落ちた。

寒いのは苦手なので、今日はもう家にあるものでどうにかしようと考える。

 

冷蔵庫からくたびれたキャベツと玉ねぎを取り出す。

とりあえずキャベツは全部スープにして煮込んでしまう。

 

私が好きな橋本紡さんの、どれかの小説で、怒りが溜まると煮込み料理を作る主人公の姿が描かれていた。

なんとなく、気持ちは分からないでもない。

スープには玉ねぎを少々、そしてキノコと付け足して鶏がらスープの素で味付けしておく。

 

残りの玉ねぎをフライパンで炒めつつ、冷水解凍した、まだ少し固まっている豚ひき肉のミンチをそのまま入れてしまう。

ミンチをどうにかそぼろ状にできたら、水に顆粒出汁、砂糖、みりん、醤油。

そして冷蔵庫に眠っていた絹ごし豆腐と冷凍していた大根を入れて、これまた煮込む。

 

このタイミングでようやく起き出してきた同居人に声をかけつつ、片栗粉でとろみをつける。

 

私にとっては晩御飯。同居人にとっては、何ごはんだろう。

 

f:id:zenryoku_shohi:20211229232854j:image

 

どちらも汁物っぽくなってしまったが、一応片方は肉豆腐のつもりだった。

先日、コンビニで食べた肉豆腐が本当に美味しかったのだ。

とろとろとしたそれをスプーンで口へ運ぶ。

熱々の豆腐にはちゃんと味が沁みていて、豚挽き肉も噛めば噛むほど肉汁が出てくる。

 

玉ねぎはとろとろで、だいこんはくたくたで。

良い出来だと思った。特に最近、弱っている胃腸には優しくて。

 

食事中、話は私の友達のことになる。先日、お菓子の家を一緒に作った友達だ。

また近々、彼女の用事に同伴することになったのだ。

 

ぺちゃくちゃと、同居人はその「用事」について語っていく。

 

知らないから教えてください。分からないから共有させてください。興味があります。

そんな装いの裏にある、軽蔑に似た好奇心が香ってくる。

 

嫌いだった。ニタニタとした笑顔が汚らしく思えて。

 

これ以上話をしたくなくて、いいじゃんか、と言ってみる。価値観は人それぞれだし、と。

それでもそれはあまりに盲目的であると、同居人はまたひきつって笑った。

こちらがわざと盲目的にしている事すら気づかない。

話したくない、というサインを受け取る能力が、同居人にはない。

そんな同居人に、そもそも馬鹿正直に用事を打ち明けたのがまずかった。

 

もう悪いのは私でいい。だから黙って欲しかった。

 

なんだかお腹いっぱいになってしまい、私はすぐに手を合わせてしまう。

相容れないものはある。当たり前だ。仕方のないことだ。

ただ、なんでそれを放っておくことが出来ないのだろうと、それだけが酷く疑問だった。

 

良く出来たと思った肉豆腐は、まだ半分ほど残っている。