食べ物と私

食べます。

振り返る、年越しそば

今年もいよいよ最終日になってしまった。

とは言え、実家に居ないからか、それとも予定が詰まっているからか。

あまり年を越す実感はない。

 

それでも大晦日という大義名分に甘えて、13時過ぎに身を起こす。

まだ眠りたい気持ちもあるが、今日中に片付けておきたいこともある。

いつものようにパソコンに向かいつつ、ぼんやりと今年を振り返る。

 

今年は一言で言うと、激動の年だった。

新しい環境に身を置き、縮こまり、慣れないまま逃げまどい。

今は比較的安定した地に足をつけているものの、これだっていつまで持つか分からない。

 

不安定な日々だった。本当に。

同時に、人に一番迷惑をかけた季節だったようにも感じる。

書いているうちに何だか鬱々としてきた。

自分一人ならまだしも周りも巻き込んで。最悪じゃないか。

 

新年の訪れと共に、何かをリセットできたなら、と思う。

出来たら今日で終わりにしたい。終わりに出来ればいいのだが。

 

一方で、そんな一年を生き延びることが出来たのは、もはや恒例となった、推しのおかげである。

その証拠に、数えてみたら二次創作の方だけで35万字書いていた。正気の沙汰ではない。

これから長生きしたとしても、きっとこのキャラクターの存在だけは忘れないだろう。

ついでに頭も上がらない。

 

窓の外、曇り空から、ちらほらと雪が降っていることに気が付く。

雪の降る大晦日。何となく「らしい」ような気がする。

 

そう考えてはたと気が付き、同居人が買ってきたカップそばを見る。

今夜、これを食べることになるのだろうか。

 

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去年は確か、年越しそばは食べなかったような気がする。

去年もご時世のおかげで帰省せず、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読みながら年を越したのだ。

今年と同様、年を越した感じは無かった。

 

今年は小説一冊、読む余裕がないことが悔やまれる。

いや、それも言い訳なのかもしれない。

きっとこうやって、ひとつずつ何かが減っていって、最終的には何もできなくなってしまうのだ、私は。

 

なんだかゆっくりと終わりに向かっているような。

そんなイメージ。そんな感覚。

やはり、新しい年を迎えるには、いささか悲観的すぎるのかもしれない。

 

テレビをつければ特番やカウントダウンなど、様々な楽しみが待っているのだろうけど、どうにもそういう気になれない。

このカップ蕎麦を食べる頃には、少しでもお祭り気分を味わえているといいのだが。

 

ゆっくりと息を吐き出して、再び画面へと向かう。

日常と非日常の、その狭間で。

私はまた今年も、何とか生きたのだ。

 

眠い目を擦る。

皆さんどうか、良いお年を。