食べ物と私

食べます。

他者の人混み、大人なパフェ

大きな駅。

例のごとく待ち合わせ場所を駅名だけにしてしまい、集合するだけでかなりの時間がかかってしまう。

 

いつも同じ過ちを繰り返しているにも関わらず、的確な集合場所を指定できるほど地形にも詳しくないため、結局私たちは学習しないままである。

それでも何とか毎回出会えているという事実も、この怠惰を加速させているのかもしれないが。

 

今日、この大きな街に来たのは、友人の用事に付き合うためだった。

この友人は以前海鮮丼を一緒に食べ、推しについて語り合い、クリスマスを共にした友人だ。

このブログにも度々登場しているので、勝手に友人Iと名付けてしまおう。

多分許してくれるだろう。多分。

 

歩きつつ、これからの用事について友人Iは語った。色々と理解され難い、という話だ。

人は思ったよりも他人に興味がある生き物だ。

自と他の区別をつけることは、きっとずっと難しい。

だからこそ、触れない方法、目の瞑り方を学ぶことは、自分を守る意味でも酷く大切な事のように思うのだが。

 

そんな話をしているうちに、友人Iは十分足らずで用事を済ませて来てしまう。

もっと時間がかかるかと思っていたのだが、案外そうでもなかったらしい。

こんな十数分で完結してしまうことに、目くじらを立てる人も大変だなぁ、とぼんやり思う。

 

それからは賑やかな街、回転寿司のように人が流れていく中、私達二人もそのレールに乗って歩いた。

この人混みを難なく歩くことが出来る人と、数メートル歩いただけで酷く疲れてしまう人。

この差だけでこの世の生きやすさは随分と変わってくるような気がする。

ちなみに私も友人Iも、もれなく後者である。

 

疲れたね、座りたいね。そう言ったのは、どっちが先だったか。

とにかく意見は合致して、適当なカフェに入ってみる。

こういったテンポが合うことは、一緒に居る上で結構重要な事のようにも感じる。

 

体を休めるため、よく考えずに入ったものの、思いのほかオシャレな内装に、二人して少し驚いてしまう。

メニューもどこか洒落ていて、少し気分が上がった。

また二人で話すこと数分。やってきたのは、大人なパフェ。

 

f:id:zenryoku_shohi:20220102200423j:image

 

こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、こんなに空間が多いパフェは初めて見た。

もちろん悪い意味ではない。美人系のパフェだ。

 

どこから食べようか迷った挙句、はみ出していたチョコレートアイスを細長いスプーンで掬って、一口。

ほろ苦く、あっさりとした味。確かに、大人の味かもしれない。

食べ進めていけば、イチゴのジェラートや酸味の強いベリー系のソースがスプーンに絡んでくる。

控えめでいて、しっかりとした、不思議なパフェだ。

 

もう暗くなっちゃったね。

大きな窓から外をのぞきつつ、桃のスムージーを口にした友人Iがそう言う。

きっとこれを食べ終わってしまえば、またあの人の多い大きな駅で、お別れなのだろう。

 

ちょっと名残惜しいまま、私はグラスの底をつつくのだった。