食べ物と私

食べます。

実家の記憶とシュークリーム

今週のお題「わたしの実家」

 

くたくたになりながら家に帰る。

今年初の出動に体が悲鳴を上げていた。気持ちの方も荒んでくる。

リアルタイムで視聴できなかった推しの曲を聴きつつ、コンビニで買ったキムチ鍋を食べ終え、風呂に入る。

生活する機械のようだと、ぼんやり熱い湯を浴びながら思った。

 

今年は実家に帰っていない。

事情はまあ色々あるが、結局のところ面倒だったから、というのが全てだろう。

 

夏に帰省した時は、ちょっと荒れ模様だった。

特に何か顕著な問題がある家族という訳ではないとは思う。

ちょっと一人ずつ、個性が強いだけだ。もちろん、私も。

だから折り合いが悪いところもある。それだけの話だ。

 

最も、夏に荒れていたのは主に私なのだが。

 

シャワーだけの風呂から上がり、冷蔵庫に待っていたまあるい幸せを手にする。

今日のご褒美、抹茶のシュークリームである。

 

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クリームに気を付けて半分に割ってみると、中から鮮やかな緑色と綺麗な白色のクリームが覗く。

片割れに一口、齧り付いてみれば、ふわりと抹茶が香ってくる。

甘さは控えめで苦みが強い。大人の味、上品な味だ。

 

少しの刺激に大きく反応してしまう体質であると。最近、そう言われた。

何だかそれだけで人生損しているような気がする反面、私はこの体質と二十数年間、何とか付き合い続けてきたのだな、と感慨深い気持ちになる。

 

疲れたら自分と相談して休みを取ることが出来る今の状況とは違って、実家に居た小、中、高校生の頃は毎日、きちんと毎日学校に行っていた。

頼み込めば休ませてくれたのかもしれないが、その元気だって当時の私には無かった。

 

よく覚えているのは、中学校のある朝。

登校前、玄関に座って靴ひもを結び、立ち上がろうとした時。

 

ああ、駄目だ。と、そう思った。

 

体が重くて、玄関の扉が遠くて、今日は無理だ。学校に行けない、と、確信的にそう思った。思っただけで、学校には行ったのだが。

ただ、その時のしかかっていた泣きそうなほどの重圧だけは、酷く強く覚えている。

 

エネルギーが枯渇しているのだ。ずっと。

 

今日、本当に久しぶりにポストの中身を整理したら、実家から年賀状が届いていた。

要は楽しんで頑張れ、とのことだった。

 

私は子どもを産む気が無いので、きっと親の気持ちは一生分からない。

運転することが怖くて、車の免許だって取らないでいようと思っている。

親となったからと言って、子どもの意識が抜けるものでもないのだろうか。分からない。

 

それでも言えることは、私はずっとずっと、子どものままでいるということだ。

 

ほろ苦いシュークリームを食べ終えて、口回りを拭く。

この苦みだって、美味しいと思えるようになったのに。

 

何でだろう。可笑しいね。