ある晴れた日、私は冷蔵庫の前で頭を悩ませていた。
原因は中にある真っ赤なりんご二つ。
実家から送られてきたものだった。
果物の中でもりんごは好きな方である。間違いなくトップ3には組み込んでくる。
しかしそこは飽き性の私。三つほど食べて、もういいかな、なんて思ってしまったのだ。
大体実家から送られてきたりんごは五つ。
同居人は果物を食べないので、いささか多すぎる量である。
りんごはそこまで日持ちも悪くないのだろうが、もう年を越して一週間になる。
そろそろ食べてしまわないと、この子たちを美味しく頂けない気がするのだ。
少し首をひねった後、ハッとしてもう一度冷蔵庫を確認する。
そこにあったのは、賞味期限を大幅に過ぎてしまった、しかも開封済みの餃子の皮。
ちょっと悩んでみるが、結局大丈夫だろう、と高を括ってしまう。
今日はこの餃子の皮とりんごで、なんちゃってアップルパイを作ろう。
二つのりんごを刻みつつ、そう言えば去年はきちんとしたアップルパイを作ったっけ、と思い出す。
りんごが好きなだけあって、アップルパイも好物の部類に入る。
去年はどうしても出来立て熱々のアップルパイに、バニラアイスとシナモンを乗せて、贅沢に一人お茶会を開きたかったのだ。
今回のような処理の手段としてではなく、りんごもきちんとお店で買ったような気がする。
森絵都さんの『ラン』でそんなアップルパイを食べる場面があったような気がする。
詳しくはちょっと忘れてしまったが、なんだか不吉なシーンだったような。
小説も読まなきゃな、とぼんやり考えながら、刻んだりんご……を鍋に入れる前に、砂糖と水を煮詰めてみる。
かたわらには一口大に切ったりんごが数欠片。
ちょっとの好奇心。りんご飴でも作ってみようとしたのだ。
しかし、お菓子作りほど好奇心のみで突っ走っしらないほうがいいものは無い。
水の量が多かったのか、砂糖が少なかったのか。
案の定、りんご飴は水あめをまとったりんごになってしまった。
なんとなくこうなる未来は見えていた。
失敗失敗、と気を取り直しつつ、まだ砂糖が残っている鍋に刻んだりんごを入れ、煮詰める。
これで飴のこびりついた鍋を洗う必要は無くなった。
そこに塩を一つまみ、はちみつ、シナモンを加えて味を調える。
りんごの水分がある程度飛んだら、後は餃子の皮で包んでオーブンで焼くだけ。
どこまでも偽物のアップルパイ。私のアップルパイだ。
少し冷ましたほうがいいことは百も承知だが、待ちきれず、熱々のままひとつ口に放り込む。
パリ、とした皮の食感の後、じゅわりとしみ出してくる甘酸っぱいりんご、りんご。
はふはふと息を吐きながら、ゆっくりと出来立てを堪能する。
出来合いでも、立派じゃん。
りんご飴の失敗は棚に上げ、私は火傷した舌と共に満足げに残りのアップルパイたちを眺めるのだった。