食べ物と私

食べます。

友達の電話、土鍋シチュー

友達からラインが来て、電話を始める。

昼間に誰かと話すのは久しぶりだった。

 

最近は忙しくなくなってきて、一日ベッドにいる私。

こんなのでいいのかな、いや、よくはないと毎日思っているが、今日ばかりは何もない私でよかったと思う。

 

ちょっと落ち着かない時に電話をかけることができる友達は貴重だ。

孤独は時に色々と牙を剥く。

そこに少しだけ繋がりがあることで、不思議とその牙を抑えることができる。

どうしようもなく下を向いてしまう時は、誰にだってあるから。

 

話を聞いたり、私が話したり、時々無言になったり。

居るような居ないような不思議な存在感の中、通話は二時間ほど続いた。

 

すっかり外も暗くなってしまったので、久々に晩御飯を作ってみようと腰を上げる。

思考が滞っている時は意外と体を動かしてみることが吉だと、最近私はようやく学んだ。

 

メニューはすっかりお馴染みのシチューだ。

実は今日は午前中、スーパーにまで行ったのだ。本日は満点である。

そこで見つけた分厚いベーコンが、今回のシチューの主役。

 

たんまりの野菜とベーコンを土鍋に入れ、グツグツと煮込んでいく。

どうせすぐに無くなってしまうからと、シチューだけは土鍋で作るようになった。

 

鍋に賞味期限切れ間近の牛乳を注ぎ入れながら、友達のことを思い浮かべる。

彼女は私と似通ったところのある友達だ。

だからこそなのだろうか、時々引け目を感じてしまう。

 

たとえば今日の電話にしたってそうだ。

彼女は落ち込んでいる時に私を頼ってくれたが、果たして私は落ち込んでいる時、彼女を頼ることができるのだろうか。

 

片っぽだけ、というのはどうにも誠実でないような気がして、少し心苦しい。

断られるのが怖いのだろうか、それとも、そもそも期待していないのか。

私はいつも誰に対しても、なぜだか一歩踏み込めずにいる。

 

思いの外早く煮えたシチューの蓋を開ける。

ふわりと昇る湯気と、いい香り。温かいご飯だ。

 

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こうして食事を取ることも、眠りにつくことも、私は彼女よりずっと上手くできてしまっているような気がする。

それは決して悪いことではないのだろうけど、それでも何となく負目を感じるような。

 

友達という対等な関係性で、そもそもこういった感情を抱いてしまうことが、私の問題であり、私が私である所以なのかもしれない。

 

ご飯を食べる前にお風呂に入ってしまおうと思い立つ。

お風呂にだって、私は毎日入ってしまえるのだ。

 

よくない罪悪感を振り払うように、シャワーで浴槽を温める。

食べる頃には、シチューは冷めてしまっているだろうか。