食べ物と私

食べます。

喪失感にお好み焼き

以前疲れやすい体質だと言われた私であるが、どうやらそれはやらなければいけないことに限らず、遊んだ日も例外ではないらしい。

 

朝日にうとうとしながら起きていられないことを悟り、目を閉じる。

目が覚めたら動画を再生し、気が遠くなってきたら目を閉じる。

また目が覚めて、適当な活字を追い、やっぱり負けて目を閉じる。

 

きちんと起床したのは驚愕の午後6時だった。

 

何度かベットの上に座ってみようと試みるが体が言うことを聞いてくれない。

へなへなとベッドに逆戻りしつつ、すっかり暗くなった部屋を見渡す。

 

昨日まではここで友人iと笑い合っていたのに、今日はもう何もない日だ。

一昨日、昨日といわば現実逃避に似た時間を過ごしていたからか、体が今日という日を受け入れていないみたいだった。

嫌なことから逃れるように眠っているような、そんな感覚。

 

誰かと会って、分かれた直後には大体こうなる。

独りは嫌いではないはずなのに、とにかく虚無感が凄いのだ。

今では見る影もないのだが、それこそ今の同居人と同居する前は、我が家から帰ってしまった後、その虚無感を埋めるため、ぱんぱんのお腹に食べ物を詰め込んだものだった。

 

人とはあまり近づきたくない。でも、寂しいのは嫌い。

つまりはどこに居たって落ち着かないような感覚。

 

くるる、とお腹が鳴る。

ここ2日の暴食を調節するため、多少面倒でも野菜を摂取することを決意する。

 

のそりと起き上がり、手に取ったのはキャベツ。

四分の一弱を千切りにして、卵と小麦粉、和風だしと水を加える。

これを両面焼けば、大阪にも広島にも怒られてしまう、私特性のキャベツオンリー、お好み焼きの完成である。

 

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じゃくじゃく、とキャベツの食感を味わいながら、胸にくすぶって止まない穴について考える。

 

自論だが、きっとこの穴は誰しもが持っているのだと思う。

ただその位置が問題なのであって、私の場合は楽しい感情が生まれるところにかぶさるようにして、その穴が空いている。

 

楽しいで埋まっている時はいいのだが、その波が消えてしまえばまた穴は開きっぱなしになってしまう。

それどころかなだれ込んできた楽しいの波が穴の周辺を削り、どんどん穴を大きくしてしまうのだ。

 

だからいくら楽しいを経験したって、この穴は埋まらない。

きっとこの穴を埋めるのは別の感情で、その感情を私はいまだに経験したことがないし、何となくこれからも経験しないのかな、と思ってみたりする。

 

なかなかやりにくい体に生まれてしまったように思う。

この穴のせいで、私はずっと泣いている。

それでも、嘆いたって穴は埋まってはくれないのだ。

 

キャベツだけのお好み焼きは軽く、ぺろりと食べ終えてしまう。

きっと腹の足しにもなりはしない。