食べ物と私

食べます。

電話、ズルくて甘いマウントレーニア

友人iと電話をする。

毎週の、もう恒例行事となったこと。

そんないつもの電話口、でも今日、友人iは大きな決断をするらしい。

 

突然だが、私は酷いやつだと思う。

何かの節目の度、結局は自分のことしか考えられないこと知るのだ。

 

寛容と放任は似ている。

私は寛容に見えて、ただ放っているだけだ。

 

どうでもいいのだ。基本、自分のこと以外は。

ただ、それも人として正しい在り方だと、一方ではそう納得してしまっている。

 

もう春なのに寒い夜。

冷蔵庫から冷たいマウントレーニアを出してきてストローを指す。

皮肉みたいに暖かい緑色。ピスタチオの味。

 

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冷たく、まろやかで、ほのかに香ばしいラテが喉を通っていく。

 

当たり前であるが、私が思うことと友達が思うことは違う。

別にいいと思うのだ、友達が思うことなら。それでいいと思うなら。

私が止める筋合い、というか権利はない。そんな責任を負うことは出来ない。


だから、私のスタンスとしては何も口を出さないことが正解なのだと思う。

 

けれど、何か後ろ髪を引かれるような。


それはきっと友達の色々な発言を憶えているから。そしてそれを友達が見て見ぬふりしていることも、分かっているから。


後悔はしない方がいいと思う。

事は起こってしまったから、もうあとは自分の首を絞め続けていくだけだ。

でもそれは友達が自ら選んだ道で。

 

私の人間関係の癖から言って、一人で闇雲に考えて自滅してしまうのがオチである事は分かっているのだ。

辞めればいいのに、と思う。

でも、辞められたら苦労していないのだ。

 

「早く死にたいね」なんて言葉が軽口に飛び出してしまう。私達の会話はいつもこうだ。

私も私で「そうだね」なんて言って、笑ってしまう。

 

何もかも上手くいかない。制御できない。

こんな身なら、早く滅んで仕舞えばいい。

私も友人iも、もうずっとそう思っている。

 

思うに、「生きて」は重い。

「死にたい」に対してのアンサーとして「生きて」は一番絶望する言葉だ。

人に押し付けるには重く、辛すぎる。


来世は亀にでも、いや、もっと寿命が短く、脳が小さい何かに生まれ変われたらいいと思う。

 

もう少し脳が小さければ、こうしてぐるぐると思考することも、胸を痛めることも、きっとなくなる。

死にたいと思いながら甘い液体を摂取するような馬鹿な真似をしないですむのだろう。

 

本当に無駄な夜。

でも私にとって、きっと友人iにとっても大切な夜は、いつもこうして更けていく。

 

明日がどうなるかすらよく分からない。

けど、約束の日、早く友人iに会えればいいと。

静かになったスマホを片手に、私はそう思うのだった。