大学時代の友人数人と、遊ぶことになった。
行き先は決まっている。ラブホだ。
どうせ喋ることが目的ならカフェやカラオケに行くより、美味しいお酒でも持ち寄ってわちゃわちゃしようという魂胆である。
ちょっとファンキーな感じの女の人がフランクに出迎えてくれたホテル。
計らいにより一番安い部屋で、無料のフードやドリンクを注文した。
シェアの定番、フライドポテトに唐揚げだ。
こういうお喋りのお供にハズレはない。
ポテトは安心できる味だけど、所々にしょっぱいものがいる。しかし、その不揃い感もこんな場では高ポイント。
唐揚げは思いのほかジューシーだった。
テーブルの上が散らかるとともに、話も段々と進んでいく。
聞いていた近況や、初めて聞く話、久しぶりに会った友達の話。
色々深まる中、暗い方へと話も伸びる。
迫り来る将来を見つつ、苦笑いで私も甘えてちゃだめだなーなんて言った時、一人の友人から思いがけない言葉をかけられた。
「自分を甘やかす方法を覚えたほうがいい」
「23年間ずっと甘えずに頑張ってきたんだから、1年でも2年でも休んだらいいんだよ」
ちょっと、いや、かなり拍子抜けてしまった。
私は取り繕ってしまう癖がある。
先生だとか、教授だとか、評価する立場の人に対してはそれはもう顕著に。
そして自分で言うのも何だがそれが上手い。
先生は大体私のことを気に入ってくれたし、いい子いい子と言われて育ってきた。
人前ではいい子でいようとしていたのだから、いい子に見えるのは当たり前である。
そんなわけだから、そういう人たちに褒められたって、「頑張ってた」と言われたって、信じられるわけがないのだ。
だって、そう見えるように仕向けたのだから。
だから評価は適当に受け取ってきた。
浮かれる自分に反吐を吐きつつ、傲慢にならないよう、過信しないよう。
けれど、別に私は友達の前まで取り繕った記憶はない。
きっとよく私のことを見ているのは、知っているのは、なんなら先生より友達の方だ。
その一人、しかもきっと本当のことしか言わないその人に、「もっと自分に甘えていい」と。
そう言われたのだ。
何だかほっとしたような、変な感覚だった。
同時にちゃんとやれていたんだ、と思ってしまったあたり、やっぱり私は他人の秤で生きているのかもしれない。
正直、本当に私が甘えることを知らないのか、それは分からない。
今でも私はずっと堕落している気がするし、それこそここぞとばかりに友人の言葉に甘えようとしていると思う。
それでもその言葉は、私にとって凄く有り難かった。
いつの間にかお菓子たちもなくなり、お皿は空になっていた。
楽しくて、嬉しくて。
そして少し寂しいまま、退室を知らせる電話が鳴った。