どうにか気力を振り絞って外に出た午後8時。
Uber eatsに頼りたいところをグッとこらえスーパーを目指す。
なぜならうちには今卵のひとつだって冷蔵庫にないのだ。
明日の自分、そして家計のため、この時間でもなお人で溢れているスーパーを回る。
今日はまともなご飯をまだ食べてないな、と考えた時、ふと手作りパンコーナーのキッシュが目に止まった。
いつも気になっていたキッシュ。
そしてそのパックの上には赤と黄色の嬉しいシール。20%引きだ。
他の人の目に留まらないうちにさっさとカゴに放り込み、カートを走らせる。
キッシュを知ったのは母の料理が最初だったと思う。
パイシートの上に卵と沢山の野菜、そしてチーズを散りばめて焼いたキッシュ。
変な名前のそれを、私は大層気に入った。
ベーグルにキッシュ、生春巻きに、おにぎらず。
このブログを書き始めてからというもの、色々な料理の端々に、母の記憶がチラついている気がした。
不思議なものだと思う。
お袋の味、なんて言うけれど、あれがいいものなのか悪いものなのか、私にはいまだに分からない。
だってひとつずつ、母の言葉を覚えている。
「社会人は学生に奢るもの」
「貴方は大胆ね」
「結婚なんてタイミングよ」
「テーブルを拭かないなんて信じられない」
ひとつずつ、不思議なほどすんなりと私の価値観になっていく。それが怖い。
母と私は間違いなく違う人間だというのに。
呪いのようだとも思う。母は魔法使いだ。
西の魔女か、南の魔女か。それは分からない。
適当に電子レンジで温めて、ホカホカのキッシュをテーブルの上に置く。
どうにかスプーンで一口分に切ると、スモークサーモン、というより鮭が口の中で広がった。
思ったよりも食べ応えのある一品。パイシートが香ばしい。
軸がないから、私はすぐに他者を自己評価の基準にしてしまう。
上下でしか人を見られない、哀れな人間なのだと思う。
だから、なるべく私に評価を下す人たちを無くしてしまいたい。
私が評価されなくちゃと思ってしまった人達と、少し距離を置いていたい。
歪み切っている私でも、これ以上歪められたく無かった。
きっと、私は私だけで生きていきたいのだと思う。
そしてそれが不可能であることも、ずっとずっと分かっている。
お腹が空いていた。
パクパク、とあっという間にキッシュは無くなってしまう。
こんな風に色々なものがなくなってくれたら楽なのに。
どうしようもなくちょっと笑って、脳裏に揺らいだ母のキッシュを私はそっとかき消した。