食べ物と私

食べます。

なんちゃって台湾ピクニック

ピクニックをしよう、なんてことは誰が言い出したことだったか。

 

業務が終わり、同期数人と集まる。

4月の青空の下、和気あいあいと悩みつつお店でテイクアウトを頼む。

 

彼女達と出会ったのは丁度1年前。色々と怖がっていた時期だ。

さすがにあの頃よりは打ち解けたと思うが、それでも個人的にはまださらけ出せない部分が多い。

仕事の仲間、なんてそんなものなのかもしれないが。

 

まだこうして皆でごはんに行こうという提案が出るだけ、私達は上手くやっているのだと思う。

それも毎回という訳ではなく、半年に一回くらいのペースで誘われるあたり、いい距離を保てているのだろう。

ある程度の協調性とコミュニケーションスキルは各々持っているようだった。

 

年齢が上がるごとに人と仲良くすることが難しくなっているような気がする。

というより、仲良くしたいという欲が薄くなっているような。

 

新年度ということもあり新しい面子だって増えたが、私は早速その子達と関わりたくないと感じてしまっている。

関わる人が増えれば増える程、考えることが多くなるのだ。

考えることが多くなる度、疲れてしまう。分からなくなってしまう。

そういう循環はあんまり好きじゃなかった。

 

結局テイクアウトしたはいいものの、ピクニックは難しそうだったため、屋内で食べることになる。

足を運んだのは台湾料理のお店。選んだ料理に個性が出ている。

 

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私はお財布の兼ね合いで角煮まんを選んだ。

苦手な食べ物がない上に食事会の目的は食事でないと思っているため、正直メニューは何だって良かった。

 

白く分厚い生地の間に挟まるのはこれまた分厚い角煮。

生地に到達する前に肉に噛みつくと、ほろほろと崩れていく感覚。美味しい。

食べ応えのある生地はほのかにピーナッツの香り。

やはり日本の食べ物とは少し違った風味だ。

 

ぽつりぽつりと喋りながら自分のペースで食べ進めていく。

皆がどうなのかは分からないが、沈黙でいて心地いい仲間にはまだ達していないため、少しだけ気を使ってしまう。

食に集中する、という言い訳があることは正直ありがたかった。

 

手をつゆまみれにしながらどうにか食べ終えて、ちょっとくつろぐ。

硬く、心なしか荒れたような空気。

一人になりたいと思ったり思わなかったり。

 

あーあ、小学生の頃の私は一体全体どうやって30人もいるクラスの中で打ち解けていったのだろう。

今ではこの少人数でさえ疲れ果ててしまうのに。

 

成長しているのかいないのか、まったく分からないままに年月は過ぎていく。

いや、成長なんてどうでもいい。

もし昔私が何も考えていなかったとしても、もうそのままで良かったのかもしれないと、窓から見えた空にそう思うのだ。