13時に起きる。
眠れた気がしなかった。
昨日の夜は眠りたくなくて、眠れなかった。睡眠薬も随分と飲んでない。
そのせいか、2時間おきに目が覚めた。
しかもそのうちの一回に、なにげなく耳たぶを触ると、まだ安定していないはずのピアスがなくなっていた。
焦って鏡の前に行くと、なんとピアスが耳たぶに埋まってしまっていた。
多分、そちらの耳を下にして寝ていたのが原因だろう。
どうにか力技で押し出して、また私は眠りについたのだ。
お腹が空いたと思う。
冷蔵庫に賞味期限が大幅に切れた卵があることも、同時に思い出す。
昨日コンビニで牛乳を買ったことも。
卵をボウルに割り入れ、牛乳と砂糖、チーズを加える。
砂糖は三温糖を使っているのだが、なんだかガチゴチに固まってしまっていた。
砂糖入れにキッチンペーパーを湿らせたものを一緒にいれてみる。
こうすると砂糖が固まらないと聞いたが、もう手遅れかもしれない。
今日は母と父に、自分の人間観を話す夢を見た。
「例えば貧乏で香水を買えなかったとして、友達が善良な心から『これあげるよ』と香水をくれるとする。でもきっと私は真っ直ぐに受け取れなくて、あー、私が喉から手が出る程欲しい香水を、この子はやすやすと他の人に譲れるくらいの余裕があるんだなあ、羨ましいなぁ、惨めだなぁ、っていう感覚になってしまう。だから私は人と助け合って生きていくことは出来ないんだよ」
そんなことを話していた。
父も母もどこか納得したように、「意外に考えていたんだね」なんて言ってきた。
現実の父と母は果たして私の事をどう思っているのだろうか。
知りたいような、一生考えたくないような、そんな感じだ。
焼けたトーストにスクランブルエッグを乗せる。
簡単で、でもしっかりとした朝食の完成だ。
サクサクのパン。
チーズのおかげで蕩けたスクランブルエッグがとっても美味しい。
ケチャップの酸っぱさも相まって、いい感じだ。
こうして死んだ卵を食べて生きていると、なんだかちょっと居たたまれないような気がする。
私と卵、逆なんじゃないかな、なんて、支離滅裂な思考に走ったり。
だって私は食べるだけ食べて何も出来ない。きっとしなくてもいいんだろうけど。
人との交流がどんどん浅くなって、狭くなって、明るい死が近づいているような感覚に陥っている。
私はそういう死を願っている。肉体よりも早く、精神が死ねばいいと思っている。
こんな毎日ですら、余計なものが多くて嫌になってしまう。
胃が悪いのも、疲れているからのような気はする。
壊すのは体の方が簡単な気がするのに、なかなか潰えてくれない。
不能になってしまえばいい。
忘れ去られてしまえばいい。
死んだ卵と、生きている私。
曖昧なバランスの中で、私の人生は今日も縮んでいくのだ。