食べ物と私

食べます。

完食ですら、

むしゃくしゃした気分が続く。

ぐるぐる、ぐるぐると頭の中は色々なことが駆け巡る。

見事に乱されていた。良くない。

 

こういう時は外に出たりして他のことをするのがいいのだろうが、生憎それには元気が足りない。

しかも世間は今ゴールデンウィーク真っ只中だ。

どこに行っても人は絶対に多い。

 

諦めてスマホに向かうが、全く事が進まない。

頭が荒れすぎていて言葉が出てこないのだ。

何を書いても違う、違う、と思う。

 

結局集中は長く持たず、また一人で苛々してしまう。

 

身勝手だと思った。

皆が皆、自分の世界でしか生きていない。

当たり前のことのようで、かなり問題のあることだ。

しかし、その皆にもちろん私も含まれている。それが一層人生を嫌にさせる。

 

そうやって生涯を考えた時、えっ?という感情になる。

死にたいや消えたい、じゃなくて、単純に驚きの気持ちだ。笑えてくる。

 

えっ、あとこれ50年とか60年とか続けるの?

いや、冷静に考えて無理じゃない?

 

よく人生はマラソンで例えられる。

もし今すぐ2キロ走れと言われたら、めちゃめちゃ嫌な気持ちになって逃げたくなったり辞めたくなったりするだろう。

でもきっと今すぐ42.195キロ走れと言われたら、多分もうその感情すら生まれない。

だって、完走出来るわけないって分かってるから。

 

私の「これから」に対する感覚は、そんな感じである。


全然元気が出ないので、半分脳を殺したままコンビニへ足を運ぶ。
そして、食べたいものを好きなだけカゴに入れた。
今夜はもうどうでもいい。
とことんダメになってやる。

 

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お好み焼きを温めている間にサラダを、唐揚げを温めている間にお好み焼きを食べる。
普通で美味しい味だ。ソースの味。
むしゃむしゃ、むしゃむしゃ。何も考えず。

多分、多くの人は42.195キロのうちの200メートルのことしか考えていないんだと思う。
だからそこまで絶望しないで済むし、最後までちゃんと走り切れる。
しかも、全力じゃなくていいことを知っていれば、なおさらこのマラソンは楽になる。

ただ、私は馬鹿だから42.195キロは42.195キロとしか捉えられない。
手を抜こうにも、一度抜いたらもう二度と戻れ無くなりそうで、怖くて出来ない。
だからいっつもあっぷあっぷなのだ。

ここまで分かっていながら、こうしてご飯をかっ喰らうことしか出来ないのだから、つくづく私はおかしな生き物だと思う。

お腹がいっぱいになり、箸を止める。
結局ポテトチップスもプリンも食べられない。
唐揚げも2つがやっとだった。

テーブルの上の醜態に馬鹿みたいだな、と笑いつつ、あと一切れ残ったお好み焼きとにらめっこするのだった。