じゃがいもが安く売られていた。
一個39円のそれを当てもないまま3つ購入。
小さい頃からじゃがいもは好きだった。
どれがいいのか分からなくて、とりあえず大きいものを手にしてみる。
何となく、米津玄師さんの曲、『眼福』の歌詞を思い出した。
「何にも役に立たないことばかり教えて欲しいや」
役に立つことと役に立たないことの違いは私の中で曖昧ではあるけど、多分いいじゃがいもの見分け方とか、そのじゃがいもに合った調理法だとか、それは世間一般的には役に立たないことに分類されてしまうのだろうと思う。
そんなことを考えていると、いもずる式に同じく米津玄師さんの『アイネクライネ』の歌詞を思い出した。
アイネクライネは高校生の頃、狂ったように聞いていた曲だ。
その歌詞の中で、私がかなりしっくりきた部分があった。
ああ、そういうことだったんだ。
だから人は泣きながら生まれてくるのか。
そんな風に納得してしまったのだけれど、私の母はこの部分の歌詞の意味が分からなと言って笑っていた。びっくりしたことを覚えている。
家に帰り、買ったばかりのじゃがいもを1つ。
そして冷蔵庫に眠りっぱなしになっていた、旬を過ぎた人参も。
二つとも食べやすい大きさに切って、レンジで適当に温める。
柔らかくなったら、フライパンにバター。適当に炒めていく。
ウィンナーも追加してみた。名前もない料理。
柔らかいじゃがいもを一口。
ほくほくと柔らかい。バターが効いていて、胡椒は少々効きすぎているかも。
にんじんは長く冷蔵庫で寝かせていたのに甘くてありがたい。
小さい頃、ステーキについている付け合わせが好きだった。
多分ドレミちゃんの影響だろうけど、私は行事の度に夕飯をステーキにしてほしいとねだっていた気がする。
その時、付け合わせとして出てきた、このにんじんとじゃがいもの何か美味しいやつ。
ステーキをねだらなくなって、必然的に何時しか作ってくれなくなったな、と。
でも、今の私はその付け合わせをむしろ主食として食べることが出来る。
小さい頃の私から見てみれば有り得ないこと。
多分、嬉しいことだろう。
そういえば元カレはほくほくしたじゃがいもが嫌いで、ポテトサラダが好物だった。
私はじゃがバターや肉じゃがみたいなほくほくしたじゃがいもが大好きだ。ちょっと固めでもアリだけど。
そんなこんなで色々と食べてなかったじゃがいも料理があると思う。
私も相変わらず彼女を頑張っていたんだな、なんて思ったりして。
39円のじゃがいもはまだ二つ残っている。
さあ、次は何を作ろうか。