食べ物と私

食べます。

ココアとぬかるみ

トコトコと歩き、いつものコメダ珈琲店へと足を運ぶ。

家にいても悶々とするだけだから、美味しいものを食べて飲んで、好きなことをしようと思った。

 

数日前の濃い一日のことを何度も考えてしまう。

多分、今色々なことを処理し始めているところなのだと思う。

 

最近は色々なことに目を瞑っていた。

主に人間関係とか、そこら辺のことだけど。

 

なにかトラブルがあったわけじゃない。いや、逆にずっとあったと言った方が正しいかもしれない。

 

とにかく、一貫性を考えては駄目だと思った。

例えば偉い人の悪口を言うのに、偉い人と楽しく飲んで。

例えば嫌悪していたのに、同じような行動をしてみたり。

 

そういう行為にいちいち葛藤を抱えていたらこちらの身が持たないことを何となく知っていっているような。

なりたくない人間に近づいている気がするが、綺麗でいられなくて。

 

そんなの我儘だし、多分ただの言い訳にすぎない。

分かってはいるけど、抗う気力が残ってない。

流されたくなかったのに、もう私は流されることしかできない。

 

たった一日の刺激で、そんな醜い隠し事まで一気に膨れ上がってきた感じがする。

良くない連鎖だ。ちょっとしんどい。

 

冷房で冷えた身体。

いつも少し寒いくらいの温度調整がされているここで、頼んだのはホットココア。

 

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溢れんばかりの生クリームが魅力的だ。

一口飲んでみると、ココアは甘さ控えめだった。その代わり、生クリームの冷たさと程よくマッチしている。とても美味しい。上品な味だ。

 

なんだか疲れたなぁ、とため息をつく。

また数日したら元の場所に戻らなくてはいけないことは分かっている。

けど、今回のことで少し嫌になってしまった。

 

偉い人からすればこの程度で嫌になるのならそれまでだといったところだろうか。

最もだと思う反面、酷くわずらわしい。

何で誰かに私が傷付けられなければいけないのか、そんな傲慢な問いがいつまでも抜けない。

 

つまり、端的に言えば楽しくない。本当に楽しくないのだ。毎日が。

 

いっそ感情を捨てられる機械でも発明しようかと思う。

それで結構なことは解決すると思うし、望む人だって多いような。いわゆる哲学的ゾンビだ。

 

苦しさとか葛藤とか、そういう無駄なエネルギーが無くなるのなら、代償に楽しさを持っていかれたところで私は全然オッケーなんだけど。

 

少し冷めてしまったココアに口をつける。

何も捨てられない。

だから多分、私はまだ落ち込んでいるんだろう。