コンビニでハーゲンダッツを買った。
私としてはめちゃくちゃ珍しいことだった。
ハーゲンダッツは何となくいつでも「特別」のイメージがある。
ケーキと同じくらいの特別感。
今日は特に何かを頑張ったわけではない。
むしろ何もやらなかった日に値する。
それでも私はハーゲンダッツを買った。
キャラメルナッツクッキー。見るからに美味しそうな味。
表面がキャラメルのチョコでコーティングされていて、その上には沢山のナッツ。
コーティングを割るようにスプーンを入れれば、中からはクッキー混じりのアイスが出てくる。
甘くて香ばしくて、しっとりしていて冷たい。
とろけるような甘さ。紛れもない特別だった。
希死念慮が強くなってしまう。
希死念慮という言葉を覚えた時から、よく使うようになった。死にたいというより柔らかな印象になるような気がしたから。
見据えないといけないことがある。
遠い将来のこと、近い将来のこと、そのために今しなきゃいけないこと、するべきこと。
見据えようとすると、死にたくなる。死にたくなる。
私のような凡人は休んでいる場合じゃないのだと思う。
死に物狂いでやるか、死んだようにやるか、それしかない。
後者が嫌だったからどうにか逃げてきたけれど、かと言って私は一丁前に努力することすら出来ない。
だからこうしてひと時の甘さに逃げるのだ。
ハーゲンダッツのバニラ味は好きじゃないんだよな、とぼんやり思う。あとストロベリー味も。
あれだけ種類がある中、サーティーワンでバニラ味だけを頼む人は居るのだろうか。
以前友達が、絶対に大納言あずきを頼む友達の話をしていたっけ。
取り留めのないことを考えて、ぐるぐると迫り来る思考の重圧から逃げる。
手のひらに収まるこの300円の重みが分からない私ではない。
それでも時々、こうやって無駄に消費したくなる。
無駄に消費しないと、こんなに何もない自分のことを甘やかすことができない瞬間がある。
カップの最後の最後まで食べきって、付属のプラスチックスプーンを置く。
しんどいなあと思う。多分。
いや、しんどいというより、客観的に現実的に考えて、一年後の私が、学生を抜け出した私が色々と上手くやっている姿を全くもって想像できない。
ただそれだけの話だ。
自分の暮らしすらままならないのなら、本当にさっさと死んで仕舞えばいいのに。
好きで生きているわけじゃないのに生きていけなくて、死ぬことすらできなくて。
甘さの救いは終わってしまった。
今夜はおやすみ。