実家にいるとご飯が出てくる。
今日は目を覚ますためにスマホをいじっていたところ、唐揚げが出てきた。
朝10時のことだ。
何ご飯なのかはよく分からなかったがとりあえず食べた。食べる私も悪いのだが。
そしてその後、すぐに移動。
祖母、祖父の家に行けばもっとご飯が出てくる。
ファミリーサイズのお寿司が用意されていれば、私も断るわけにはいかない。
二巻だけが四巻、五巻と増え、結局普通に食べてしまう。
ちょっとしたバグだと思う。
実家にいる時はかなり体重についたら悩んでいたように思う。
しかし、今となっては太るのは当たり前だと思う。というより、こんな生活をしているのに太らない母の方が稀な存在のような。
あったらあるだけ食べてしまう私も私だが、料理好きな母の元に生まれたのは本当に運の尽きだ。
実家に帰って思うが、やはり母は子供に干渉したい生き物なのだと思う。
風呂に入るにも急かす。要らないと言っているのにご飯を作る。いいと言っているのに服を買う。
その気持ちがどこから来るのか、私には分からない。
多分、親にならなければ一生分からないのだと思う。
それを少しだけ億劫に思ってしまうのは、きっとただの子供心だ。
とにかく、許容量を超えるほどの世話を焼かれてしまっている実感がある。
しかし胃は上手く順応してしまうので、ちゃんとお腹は空いてしまうのだ。
夜、お腹空いてない?との言葉にそこそこ空腹だった私は頷いてしまう。
そして出てきたのが、ナスの味噌焼き。
こんな大きなナスも私は買えないし、この味噌だって何味噌なのか分からない。
つまり、絶対に一人では食べられない料理である。
箸を通せば、とろとろのナス。
食べるというより飲むというほうが正しいほどだった。
思わずビールに手を伸ばす。全く、本当に堕落している。
母はビールを飲まなかった。
曰く、妹がバイトに出ているから飲まないらしい。
何となく、妹にとってらそういう気遣いも重いんだろうな、と思う。
寝不足だと訴える母は、家族の誰よりも早く起きることを心掛けていた。
これを責任感と呼べば、鼻を高くしてしまう母なのだ。
母が好きでこれをやっているのならまだいいのだが、やはりこういう生活をしていけば少しずつストレスは溜まっていくものだと思う。
それをぶつけられるのもまた、私達なのだ。
自分の予定がないのなら好きな時間に起きればいいし、好きな時間に眠ればいい。
飲みたいものを飲んで、好きにすればいい。
だから、自分の情緒を守ってほしい。
そう思ってしまうのもきっと、私が甘えているからなのだろうと勝手に結論づけ、また私はビールを注ぐのだ。