食べ物と私

食べます。

ラムネと犠牲

そろそろ家に帰る。

買い物に連れ出された。持ってきたキャリーケースに食べ物を詰めて帰れ、ということらしい。欲しいものを買えと。

 

あったら便利なものなんて腐るほどあると思うのに、いざこう言われると何が欲しいのか、何があったら助かるのか、自分でも分からなくなる。

とりあえず言われるがまま、お菓子や缶詰、それからカップ麺なんかをぽいぽいとカゴに入れていく。

 

そう言えば来年から仕送りはなくなるのだろうか、とちょっと気がかりになったりする。

農家をしている祖父と祖母。そこのお米が食べられるのもあとどれくらいなのだろう。

私はスーパーでお米を買ったことがない。

 

駄菓子のコーナー。

青緑色の袋を二つ手に取って、またカゴに投げ込んだ。

森永のラムネ。私は昔から変わらずこれが好きだった。

 

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小さい頃はラムネ型の容器が嬉しくて、顔を探すのが楽しくて買っていたそれ。

今となってはこうして袋に売られているものを、集中力を上げるために買うようになってしまった。

脳が疲れた時に糖分がいいと言うが、チョコなんかはリラックスしたい時に欲してしまうから、ラムネのような爽やかさがある方が私にとっては嬉しいのだ。

実際、ブドウ糖は脳に良いと聞く。

 

結局カゴにぱんぱんになった食品たちをセルフレジに通しつつ、これからこれをキャリーケースに詰めなければならないのか、と考える。

一人になりたいけど、怠惰なので帰るのも随分億劫だったりするのだ。

 

勝手に料理が出てくる生活ももうそろそろ終わる。

誰が見ているわけでもないのに四六時中付いているテレビも、お風呂を急かしてくる人も、正しい生活習慣も、全部終わってしまう。

 

特に寂しかったり、そういうことはないけれど、ただ次に帰ってくるのはいつになるんだろうと思ったりする。

多分、今年も私はお正月に実家へは帰らない。

 

買い物から帰り、パソコンを開いてラムネを口に含む。

こうしてパソコンに向き合っている時間の静けさもまた元通り。

その静けさを守るため、私は会う人を選んで、話す人を選んで、ちゃんと私を作っていかなければいけないのだと思う。

 

そのため、何を犠牲にするかはしっかりと考えなければならない。

 

がり、と口の中に特有の清涼感が広がる。しゅわしゅわと爽やかな甘さが溶けていく。

考えることが多い。ゆっくりでいいと思ってはいるけれど、やっぱり人と会うと心は揺れる。

 

大丈夫、と。独りごとの言えない今、心の中で呟いてみる。

これから私はどうなるのか。私のペースで見定めていきたい。