かぼちゃプリンはいるか、と聞かれた。
いるか入らないかと言われたら、それは要る。
要ると答えたら、じゃあ作るね、と言われた。
相変わらず行動力がすごいなと思う。今まだここにかぼちゃプリンは存在していないらしい。
プリンと言えば、昔よくスーパーに車販売式のプリン屋さんがあったと思う。
クマのマークが目印のプリン。
たまに買ってくれるそれを私はとても好んでいたけれど、いつの間にかその車は来なくなった。
それと共に家族の記憶からもプリンは消えたようで、母はもうその存在を覚えていないようだった。
かぼちゃを濾しているのだろう、キッチンからいい匂いが立ち上ってくる。
母は人の為に料理をするのが好きなんだと思う。
私がそう思いたいだけなのではなくて、多分、本当に。
私は私のために作った料理が世界で一番美味しく感じるけど、きっと母はそうじゃない。
人に食べてもらうことが幸せであるように思える。
料理をしている時の母はいつも楽しそうだった。
というか、料理に何か強い気持ちを持っているのだろう、料理を失敗した時、母はかなり不機嫌になる。
基本的になんでも美味しい私はそれが本当に嫌だった。
数時間後、忘れた頃に母がカステラのような見た目のプリンを持ってきた。
何だか納得がいかなかったのか、少し表情が曇っているような。
添えられたスプーンで掬う。
ザラザラとした舌触り。しっかりとかぼちゃの味が残っており、コンビニでいつか食べたようなプリンに似ていた。つまり完成度が高くて美味しい。
カラメルも少し苦味が効いており、私好みだった。
そう私は思うのに、母は少し卵が分離したことが許せなかったらしい。
美味しいと言っている傍で、卵が小さかったのかな、とか、前作った時はもう少し上手くできたとか、ぶつぶつ母は何か呟いていた。
せっかく美味しいのに自分で台無しにしてしまっているような気がするけれど、母にとっては私の美味しさより大事なものがあるらしい。
もっと気楽に楽しめば、少し気を抜いてみればいいと思うのに、そのこだわりが周りを巻き込んでいることを知らない。
カステラのようなプリン。
形状からしてもまだ沢山あるはずだ。
これがテーブルに出てくる度、母はまた一度の料理を悔やむんだろうか。
私が母の料理を好いていても、きっと母は喜ばない。
自分で完結できるだけの気概がないのなら、それもちょっとどうかと思うけれど。