食べ物と私

食べます。

ご飯は食べてるんだけど

少し違う書き物をしていて、このブログは不定期更新になっている。

丁度先月末で1周年を突破したから、ある程度の目標に達したこともある。ちゃんと続けられて良かった。

 

九月。

色々なことがちょっと立て込んでいて、だからつまりちょっと落ちている。

 

色々な方法で皆、生き延びていると思う。

自分を魅せるツイート、画角、トピック、色彩、歌声、そして人間性。ちっちゃい画面の中に、それでも魅力的な人が溢れている。

 

私には何もないから多分ちょっと自分を殺すことが関の山なのに、だってそれすら出来なかった。

私はどうやらちょっと頑張らないと人の形を成せないらしいと知ったのは、ここまで生きて来てつい最近の事。あんまり頭は良くないのだ。

 

呼吸が出来ないから、私は私を殺さないように少し足掻いてみるけれど、息をするごとに罪悪感が蔓延る。なんだか矛盾。

周りはちゃんと自己を殺して地球に馴染んでるのに、何であなただけが我儘なんだろう。なんで何も持ってない癖に、あなたは何も諦められないんだろう。

後ろ指を指しているのは間違いなく自分だった。

 

この小さな部屋で人生が完結してしまえばいいのにと、切に願う。

 

暗い場所に目を向ければ、私は女というだけできっと色んな意味で弱者なんだろうし、もう守ってくれるものはないように思う。いや、これまでだって、守られていたのだろうか。あんなにどうすればいいか分からなかった学校生活は、それでも守られていたのだろうか。

 

あの時尊敬していた人だって、何となく倫理観を欠いた人になっていて、純粋だねって誉め言葉みたいに馬鹿にされて、でも私だってその人たちのことを見下していて。

 

本当に気持ちが悪いと思う。

結局人間。自分が主軸でしか、自分の時代の中でしか生きていけないのに、なんで群がろうとしてしまうんだろう。そしてそんな人の一部である自分が心底気持ち悪い。

 

26歳で自殺しようと思っていたけど、どうせ死ぬなら好きに生きようと思った、それが二年前。色々あって自殺すら出来なくなってしまった。

一面性だけで生きていたいけど、なんかもうよく分からない。こんな健常者だから笑われてしまう。

 

これから若さという武器を無くし、元々醜い内面をコーティングしている外面だってどんどん醜くなっていって、また生きづらくなって、辛くなって。

何の意味もない八十年を、どうしようかなんて。悲しくなってしまうじゃないか。

 

こんな歳をして、ティーンみたいな悩みで笑ってしまう。

小学校に行きたくなくて泣いていた朝から、私は多分ずっとずっと成長できていないままなのだ。

 

撫でるだけみたいな認知なら、私の元から去って欲しい。

私から名前を奪って、人格も、繋がった縁も、全部なくなってくれたなら。

全員が私のことを忘れた世界なら、きっと私はスクランブル交差点を最期の場所に選ぶことだって出来るのに。

 

それが出来ないのなら、せめて愛してくれないかと思う。

最後の我儘にするから、誰か愛してくれないか。

絶対に私を傷つけないと誓って、私を愛してくれないか。

 

上手く書けない。元から。

一人の部屋で私は今日もきっと何にもない。

こんな私を、誰も知らない。