食べ物と私

食べます。

ズレた隙間にポテトチップス


曇り空の18時。特急に乗り換える気力が無く、準急で一時間かけて帰路につく。

 

家に帰る前にコンビニへ寄った。
切らせていた食パンと、ポテトチップスとアイス。
数時間前はドライフラワーが飾られたレストランで、まあるいソファー席に座っていた。
胃の中にはまだ2000円のパスタと野菜のビュッフェ、フレーバーティーが残っている。
お腹はいっぱいのはずなんだけれど、帰った瞬間にポテトチップスの袋を開けていた。

 

パリパリ、一枚。
食べ応えが欲しくてギザギザの厚いポテトチップスを買ったけれど、口の中が痛いなとだけ思った。
なんだか塩味が薄く感じる。
パリパリ、パリパリ。お腹はいっぱいのはずなんだけど。

 

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ここ数日、懐かしい人と接する機会が連続している。

今日会ってきたのは幼稚園からと、もう一人は小学校からの友達。
一人が彼氏の住む東京の方へ行ってしまうから、その前に会わないかと誘われて。
二人とも彼氏からのプロポーズを待っていた。

 

確かに、よく考えなくてもそういう歳だ。
大学院を出てからのっぺりと生きてきたけれど、あと二年経てば母が私を産んだ歳に追い付いてしまう。
この前6年ぶりに電話をした高校時代の後輩はいつの間にか結婚していたし、ラインのアイコンだって子どもの写真が増えているような。
小学生時代、いつでもみんなの中心にいたあの子は二児の母となり、地元で家を建てたらしい。
大学生みたいなテンションで、でもそれよりは遥かに重い危機感で今月ヤバい! なんて焦っている私には到底見えない世界だ。

 

彼女達とも、随分と同じ話を繰り返すようになってしまった。
大抵は小学生の頃の話だったり、幼稚園の頃の話だったり、その後の同級生の話だったり。
私達を繋ぐものはもうそれしかないみたい。なのに誘ってもらえることは本当にありがたいとも思う。

 

お決まりのように変わらないね、そうだねと話すけれど、私達、きっとそんなことはなかった。
だって二人が話していた服のブランド、私はひとつだって分からなかった。
Honeysが可愛いだなんて話してたこと、私まだ覚えてるのに。
合唱コンクールのソプラノとアルトの喧嘩も部活動のいざこざも、あれだけ深刻だったのに懐かしいねなんて言っちゃって。
亀梨くんの結婚、そんなにショックじゃなかったみたいだし、私だって当時ほどONE PIECEへの熱はない。
私はお酒を飲むようになって同人活動をするようになったし、二人はスタバよりももっとお洒落なカフェに行くようになって彼氏と同棲するようになった。
プロポーズの悩みも私には分からない。
そもそも二人が夫婦になりたいくらい信頼している相手のこと、どうしてそう想えるようになったかってこと、私は何も知らないな。

 

一度考え始めると、色々のぼってきて爆発しそうだ。
どうしたって私と二人は違う道を行く。

 

それに、彼女達だけじゃない。
この先で出会う人達、今、比較的近い道を歩いている気がしている人達。
そういう人達ともこうした小さな別れが繰り返されていくのかと思うと、何だかどっと人生に疲れてしまう。
きっと変わらないこともたくさんあるはずなのに、あの子も私自身も知らない側面がどんどん増えていく。
そう考えた時、なるほど、恋人がいたらそりゃ安心できるだろうと思った。
変化していく自分を全部知って、この先もずっと見守ってくれる人がいるというのは本当に心強いことだろう。

 

おそらくこれからも彼女達の重心はどんどん家庭の方へと傾いて、けれど私はずっとひとりでいるような気がしてしまう。
きっと私はそれを寂しがったり、もっと言えば恐ろしく感じている。薄情な話だ。
十年前、「誰も私を知らないところでやり直したい」と、ひとりで隣町の高校へ進学したのは私の方なのに。
そもそも声をかけてもらえなきゃ、ろくに会おうともしないくせに。

 

彼女達のことは今でもきちんと好きでいる。
背伸びした昼食もきちんと味を覚えているくらいに美味しかった。
何度も擦られた昔話だって、話している時間は楽しかった。
それでもこの記事の主役になったのはお洒落なパスタじゃなくてコンビニブランドのポテトチップスだ。

 

ただ違うというだけでそれぞれの道に善し悪しはない。
それでも悲しくなるのなら、それはきっと私のせいだ。
もしもこの世に永遠があったなら、私も少しは安心できるのだろうけど。

 

空になったポテトチップス。
割り箸と一緒にゴミ箱へ深く沈めてしまう。
ひょっとすると、二人と次会うのは結婚式だったりするのかも。
投げやりにそう思って、やっぱり傲慢なことにあるかも分からない次を夢みている自分に気がつく。
拙いメイクで寝転がる、私はまだ制服を着たままだ。

 

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そう見えないけどハンバーグ

二週間ぶりの買い物から帰る。


牛乳に冷凍パスタ、冷凍うどんにアイス。買った物を思い返してみると、思ったより重たいものが多かった。
誤算で張り裂けそうになっていたビニール袋から、エリンギと玉ねぎ、10%引きになっていた合いびき肉を救出する。

スーパーまではほんの数分の距離だけど、それでも首筋には汗が滲んでいた。六月も後半戦。梅雨は夏に犯されつつあった。


タンクトップになって髪を結び、じりじりと暑いキッチンに立つ。これからなんちゃってハンバーグを作るのだ。

 

まずはおなじみ、エリンギと玉ねぎを適当にみじん切り。残りの材料は家にあったほうれん草と合いびきミンチだけ。
すでにハンバーグの材料としてはおかしい気もするけれど、あくまでなんちゃってハンバーグなので問題はない。
ちなみに卵も入れない。パン粉や牛乳の繋ぎも必要ない。だって繋がないから。

 

オリーブオイルで野菜を炒める。それから合いびきミンチを投入。
全体的に火が通ったら、ケチャップと醤油で適当に味をつける。これでハンバーグソースの味になる。
あとは適当に胡椒を入れて完成にしようとした矢先、胡椒が完全になくなってしまった。これくらいならコンビニでも買えるだろうか。
なにはともあれ、完成。なんちゃってハンバーグ。

 

見た目は完全に数ヶ月前の肉味噌と同じだった。けれどスプーンで一口、食べてみれば子供向けのハンバーグだ。
流石にひき肉がなければ首を捻るかもしれないけれど、少なくとも私の舌は味付け次第でどうにか騙せてしまう。
たとえば鰻重はたれを食べているようなものだと思っているし。実際、どこかでそんな商品が売られていたような気もする。
もうひと口、食べてみればエリンギから旨味があふれてくる。小判型をしていなくたって、私にとってそれは紛れもなくハンバーグだった。

 

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先日、バイト先で喧嘩を宥めることに成功した。
喧嘩の内容自体は大したことじゃなかった。喧嘩を売りたがっていた客の挑発に店員が乗ってしまっただけ、ありふれた諍いだ。
それでも正直、かなりびっくりした。自分にそんなことが出来るとはあまり思っていなかったから。
張り詰めた教室で怒鳴り散らす先生。レジの先で頭ごなしに大声を上げるクレーマー。私は昔からそういう雰囲気が大の苦手だったのに。

 

別に、大きな声や怒っている人が怖くなくなったわけではないと思う。
実際喧嘩が始まった時はギョッとしたし、店員は私とその人しかいなかったからどうしようかと思った。
なのにどうしてこんなことが出来たのだろうと思う。昔の私だったら、何も出来ないまま引っ込んでいただろうに。
対処できるのが私しかいなかったからか、歳を重ねて度胸が付いたからか。
どれも当たらずとも遠からず。もう少しよく考えて、自分の身の振る舞い方に辿り着く。

 

具体的な例は思いつかないけれど、舐められやすいと感じることが昔からよくあった。
それは私がまだ世間的に若い女だからだろうし、基本的に笑っているからだろうと思う。
本来の性格はさておき、あくまで見た目だけで考えた時、第一印象は優しそうな人とか、そこら辺になるんだろう。
嫌な言い方をするのであれば、優しそうということは無害そうということだし、無害ということは反撃されにくそう、つまり言うことを聞いてくれそうな見た目ということだ。
けれど、いや。だからこそ、舐められることこそあれど、怒りの矛先を向けられることは少ない。そういう自信がどこかに生まれていた。

 

かつて、初めて全頭ブリーチで髪を明るく染めた時のことを思い出す。
こちらが避けなければぶつかりそうだった大通りを進みやすくなったこと、よく分からないアンケート調査に声を掛けられなくなったこと、なぜか当時の彼氏が嫌そうな顔をしていたこと。
私の髪と世界が少しだけ色を変えたあの瞬間、私が思うより人間は見た目を重視していることに気が付いた。
……多分、目の前の陳腐な喧嘩を眺めながら、私はそういうことを考えていたんだと思う。

 

三十代の強気な男性にとって、自分より背が低くて若く、黒髪の残る私はどう見えているのか。
なぜ私ではなく、わざわざ男性の店員を指名して喧嘩を売ったのか。彼にとって、私は喧嘩を売るにはあまりにも御粗末な存在だったんじゃないだろうか。
背が高くてある程度頑丈そうに見える、けれど自分より年下の男性店員に対してなら、怒りをぶつけられる上に罪悪感も少なかったんじゃないか。
じゃあ自分より明らかに格下の存在が、申し訳なさそうな顔で前に立てば、彼の怒りはどうなるのだろう。
そんなことを思いながら動いた結果、最終的に「ごめんな」と、彼は帰って行った。

 

もちろん、100%見た目が全てだとは言わない。
客と店員という立場、そもそもの発端。その場の状況として、色々なバランスはあった。
ただ、私がもし女性ではなく、怒りをぶつけられた店員のような男性だったら、宥めることでむしろヒートアップさせていただろうとも思う。
けれど私は若い女性だったから、彼は弱い者いじめでもしている気になったのだ。
この見た目のおかげで、彼にとって私は悪役にすらなり得なかった。

 

この私の考え方は、結局舐められていることを前提としたものだし、相手の顔色を窺っていることになるのかもしれない。
それが情けないことだと感じる人もきっといるし、実際そうなのかも。
男性の店員が喧嘩を買ってしまったのだって、きっと相手に舐められていることが許せなかったからなのだろう。
だけどこの件について、不思議と私は嫌な気持ちにはならなかった。
相手から自分がどう見えているのか、それによって相手がどんなことを感じているのか。
誰かと接する際、そういう視点を持つことが重要だと学んだのは大学院でのことだった。それに、前のバイト先でもこれは散々考えてきたことだったから。

 

基本的に自分に甘い私だから、たとえ下らないことであったとしても、頑張ってやったことであれば無駄なことなんてないと思っている。
けれど、だからこそこうやって、やってきたことが実際に役に立つとやっぱり嬉しい。

それに、たとえ外野から情けなく見えていようが、それは私が損なわれる理由にはならなかった。
若いだけで弱く見られようが、金髪にして怖がられようが、私の中身まで変わるわけじゃない。味は同じなのだ。

 

すっかり冷めたなんちゃってハンバーグをラップに包み、冷凍庫へと眠らせる。
あとはパンにのっけて食べても良し、ご飯にのっけて食べても良し。
ホワイトソースを作る気力さえあれば、きっとなんちゃってミラノ風ドリアだって作れてしまう。
形を変えたってハンバーグは心強かった。

 

お皿を洗い終え、切れてしまった胡椒とラップについて考えながら髪を解く。
背中を覆うオレンジ色の髪に、今年初めてエアコンのスイッチを押した。

素朴なプリンと春の風邪

久しぶりに風邪を引いた。

 

夜勤を終えて眠ったはずが、鼻が詰まって二時間で起床。一応熱を測ろうとしたら体温計の電池が切れていた。
少し悩みつつ、何となく病院へ行く身支度を始めてみる。
体感的に熱がないことは分かっていた。それなら医者にかかるのは大袈裟な気がするし、寝ていれば治る可能性だってある。
けれど、もし悪化したら熱を計らなければならないのだ。

100均でボタン電池を買って、家に帰ってドライバーで小さなネジを外して入れ替えて、ベッドで眠って熱を計って、もう一度身支度を整えて病院に行く。
その手間を考えると、最初から100均と同じ距離にある病院へ行った方が楽だった。
勢いに任せ、重たい玄関の扉を開ける。この風邪はどこか長引きそうな予感がしていた。

 

数分後、病院の体温計は37度ぴったりを表示。
微熱とも呼べないお粗末な体温にお医者様は呆れた様子もなく、「今この体温ということは夜上がるかもしれませんから」と、漢方と胃薬、風邪薬を出してくれた。
ついでに100均へ寄ってボタン電池を、帰り道のコンビニで必要なものを買うことにする。
スポーツドリンクにゼリー、プリンとヨーグルト。
すっぴんに帽子といういかにもな見た目で、いかにもな商品をカゴに入れていく。
ただ、やっぱりちょっと調子が悪かったのかもしれない。
どうせなら2リットルのものを買ってくれば良かったものを、思考が至らず500mlのアクエリアスを2本購入。
食べたかった冷たいアイスを買い忘れていたことに、帰宅してから気が付いた。

 

何だかどっとくたびれつつ、薬を飲むためにプリンをひとつ、机の上に出してみる。
これも適当に買った物。プリンの種類はたくさんあったのにこれを選んだのは、値段が安かったからか、それともパッケージが可愛かったからか。

惰性のまま、プラスチックのスプーンで黄色い水面に触れてみる。
口に運べば、案外固めな食感。けれどイタリアンプリンほどねっちりしてはいなくて、何だかちょっと懐かしい。
甘くて冷たくて、分かりやすく元気なプリン。
正直なところ、今は滑らかな口当たりの方が嬉しかったけれど、しっかり食べた気はしたから体にとっては良かったのかもしれない。
今日の胃はまだ空っぽだった。

 

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熱を出した時は、昔のことをよく思い出す。
前にも書いたかもしれないけれど、私はよく熱を出す子供だった。
魚釣り大会、芋掘り大会、お泊まり会に節分大会、クリスマス会を二回。
あらゆる行事で欠席するものだから、先生方が個別に作ってくれていた卒園アルバムの写真が私だけ足りなかったらしい。
卒園間際でクラス全員とツーショットを撮る羽目になったことを覚えている。それでも最後のページは空白だった。

 

年齢が上がるごとに熱を出すことは減っていったけれど、学生のうちはたまに熱を出すとほっとした。
小、中、高とあまり学校が好きじゃなかった上に、ズル休みさせてくれるような親ではなかったから、学校を休む大義名分を得た喜びの方が勝っていたのだ。
だからなのか、熱は大抵一日で下がってしまうことが多かったし、今考えるとほとんどが疲れからくる発熱だったように思う。
幼稚園でよく熱を出していたのも、ひょっとして行くこと自体がストレスだったのかもしれなかった。
小学生低学年だった私は日曜の夜と平日の朝、たびたび泣きじゃくって両親を困らせていたから。
何がそんなに嫌だったのか、当時は具体的に言葉に出来なかったけれど。

 

背が高くなって、言葉を持って、自分との向き合い方を知って。
嫌なことからとことん逃げてやると決めてから、当時ほどストレスに当てられることも無くなった。
その代わり、熱を出してもゆっくり出来なくなったとも思う。
嫌なことから逃げてバイトで暮らしているから、働けない分お金が減るし、作業だって滞る。
どれだけ辛くても病院へ運んでくれる車はないし、食べたいアイスを買って来てくれる人もいない。
なのに10代の治癒力はなくなって、熱も風邪も大抵数日引きずった。
大人になった代償だろうか。38度の穏やかな時間はいつの間にか永遠に消え去ってしまっていた。

 

うつらうつらと眠っているうちに、一瞬、実家で寝ている夢を見る。
あまりにもベタなことをしてしまって、少しだけ恥ずかしい。
ひとりぼっちの風邪はやっぱり寂しい。けれどその反面、理に叶っていることのようにも感じた。
自分で自分の世話が出来ている感覚にほっとするのだ。
熱を出している時はどんな顔をしたらいいのか分からなくて、いつだってちょっと気恥ずかしかったから。
それでも熱の間、学校を早退した日は決まって仕事帰りの父親が、アイスボックスとポカリを買って帰って来てくれたことを思い出す。
27歳。いい大人になってもまだ、私は両親に守られていたいと思っているのだろうか。

 

浅い眠りの狭間、気付けば体温は38度まで上がっていた。
買っておいたアクエリアスで燻る熱を誤魔化しながら、プリンの容器もそのままに、また布団をかぶってみる。
酷く無防備であったって、今は取り繕う必要などない。少し元気になったら、今度こそアイスを買いに行こう。
六畳と少しのワンルーム。静かな孤独に安心しながら、あの頃の夢へと帰っていく。

私専用肉味噌もどき

野菜が不足気味なので、野菜を食べるためのストックを作る。


ラインナップは玉ねぎとほうれん草、えのき。
根野菜は冷凍に向かないから、安くて日持ちする玉ねぎときのこは今の私の一軍野菜だ。
茹でるのが面倒で敬遠していたが、冷凍版の便利さを知ってからそこにほうれん草が加わった。

 

まずは玉ねぎとえのきをみじん切り。
玉ねぎは二玉みじん切りにしようとしたけれど、一玉で断念して残りは薄切りに変更した。
そもそもみじん切りの方もかなり粗めだったが、改める気はさらさらなかった。食べるのは私なので。

 

フライパンにごま油。
底が見えなくなるほど大量の野菜を入れたら、あとに控えている鶏ももミンチのため、ひたすらにカサを縮めていく。
かき混ぜて水分を飛ばしつつ、場所が空いたら肉を投入。
出来るだけ細かいそぼろになるように火を通して、酒とみりんと醬油で味をつけてみる。
酒とみりんに関しては確実に、下手したら年単位で賞味期限が切れているが、見たくなかったので確認しなかった。
アルコールなら劣化しても大丈夫そうだし、火を通すし、何より食べるのは私なので。

 

そんなこんなで出来上がった、野菜を食べるための何か。
味見をしてみたら何だかパッとしなかったので、味噌を入れてみた。多分、肉味噌になった。
冷凍ご飯を解凍し、その上に乗せてみる。
洗い物が面倒なのでタッパーのまま食べようとしたら、弁当のような見た目になってしまった。学生時代を思い出し、少しだけ懐かしく思う。

 

この肉味噌もどきは野菜が濃縮されているような、ちょっと健康な気がして、ひとり暮らしを始めた頃からよく作っていた。
何より濃く味付けすればご飯がよく進むから、数日分のストックが出来る。
今回のMVPはえのきだった。
中途半端なみじん切りが功を奏したのか、肉厚な身からじゅわじゅわと旨味が出ている。
ついでに舌がピリピリすることもないから、やっぱり酒もみりんも問題なし。私の勝ちだ。

 

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今年に入ってから、何となく自炊を始めている気がする。
今までもしていたはしていたのだが、一日一食はコンビニに頼ることが多かった。
金銭的に焦っていたこともあるけれど、体力と気力に余裕が出来たのかもしれない。
ついでに最近は少し時間も出来て、久しぶりに自分の小説に着手し始めている。

 

エッセイなのか、日記なのか、コラムなのか。
気付けば最近は自分について書くことが多くなっていたから、自分の世界を書くのは久しぶりだった。
文体や使える語彙や比喩、何もかもが自由な分、やっぱり四苦八苦するし時間もかかる。
当然腰が重くなる時もあるけれど、自分のお話を作っている間は、それ以外で感じたことがないほど頭の中が静かになる。

 

楽しいとはまた違う。沈んだ気持ちもない代わりに、浮いた感覚もない。
一瞬一瞬で色を変えていく、思考の形を鏡で観察しているような。私が私の世界のことだけを考えられる、穏やかで真摯な時間。
たとえ筆が進まなくったって、私はその時間が好きだった。
もちろん、誰かに届いたり褒められたりすることは嬉しいし、モチベーションにもなる。
けれど結局のところ、私は私のためにしか物を書けないのだろう。

 

生活していると、ふとした瞬間、何かに追われているような気になる。
けれど長い目で見れば、今の所、私の人生に時間はたくさんあった。
私は現状、比較的自分のことだけ考えていればいいし、このままいけばひとりで歳をとっていくだけ。
死ぬまでに何をしたっていいし、きっと何もしなくたっていいはずだ。

ただ、少し余裕が出来て自然と自炊を始めたように、私は多分、私のために時間を割くことが好きだった。
何も強制されないのなら、きっと私の自由は何度でも書くことへと帰っていくのだろう。

 

とはいえ、物語を完結させるためには相当な気力がいることもよく知っている。
今回は特に、読者もいなければ締め切りもないから、完成しなくて困るのは本当に私だけだ。
だからこそクオリティはさておき、とりあえず完走することを目標にしておきたい。
荒削りだって構わない。だって、読むのは私なので。

 

残りの肉味噌もどきをラップにくるんで冷凍し終え、窓際の机に座ってみる。
四月の夜はまだ寒い。
半袖とひざ掛け。アンバランスな格好のまま、私のまたキーボードに指を置く。

ろうそくとフライドポテト

22時から5時、1200円の7時間。

 

うっかり眠りそうな作業中、ちょっと外に出たい時、最近はよくカラオケの深夜パックを使っている。
部屋に着くなり、ドリンクバーからホットコーヒーと何かしらの炭酸を入手。
コーラだったり、ジンジャーエールだったり、メロンソーダだったり。
気分によってまちまちだけれど、お気に入りはドリンクバーでしか見ない白ぶどうソーダだ。

 

家からつけてきたイヤホンをそのままに、テーブルにパソコンを広げる。
ノイズキャンセリングを貫通してくるざわめきの中、ひとり、ひたすらにキーボードを打つ。
切り離されてはいない。安全地帯でひとり、ぽつりと浮いてる感じ。
小さな頃のお正月、親せきの集まりから逃れ、別室で宿題をしていた時の空気に似ている。
私はあの時間が嫌いではなかった。

 

そろそろ日付が変わろうという頃、タッチパネルでフライドポテトの食べ放題を注文する。
ここのカラオケはポテトが食べ放題で400円、なぜか単品で430円だった。
ぶっちゃけ私はひと皿で満足だし、食べ放題を満喫できる年齢でもない。
けれどそういうことならと、気づけば毎回400円払ってポテトを二回食べている。

 

まずは一度目の注文。
ついでにドリンクバーもお代わりしてみる。ポテトにはやっぱりコーラが欲しくなった。

 

こんがり揚がっているというよりは、少し色白。
パセリも乗っているから、ジャンクフードというにはお上品な風貌だ。
さっそく箸でつまむと、揚げたての温かさがさくりと触る。
かわいらしい食感に、また気づけば箸が伸びている。
基本的にケチャップはつけない派だけれど、塩味の薄いここのポテトは例外だった。
まだ熱いポテトを、小皿に盛られた冷たいケチャップへ存分にくぐらせる。
フライドポテトにしてはますます健康的な味にはなるけれど、食べ放題ならこれくらいがちょうどいい。

 

温かいうちに食べようと必死になりすぎて、写真を撮るのを忘れていたほど。
夢中で食べ進めているうちに気づけば日付を越していて、私は27歳になっていた。

 

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暗い部屋、ろうそくの代わりに、ケチャップつきのフライドポテト。
せめて誕生日らしい曲を歌えたら良かったのかもしれないが、生憎バースデーソングはあまり知らなかった。


こんなことをしているから今年の誕生日は、過去一番実感が沸かない。
……と、書いてはみたが、ブログを読み返したところ、どうやら去年も私は同じことを言っている。
小さい頃は一大イベントだったはずが、やっぱり年々誕生日への特別感は薄くなっている。
仄かに寂しいと思うあたり、どうやら私は思いのほか、この日を大事にしたい人だったらしい。

 

ひとり、またひとり。
歳を重ねるごとにやり取りする友達が減っていく。

 

その分広がっている世界や出会えた人達もいるのだが、ふとした時、目に留まるのはいつだって過ぎ去ったもの達だ。
未練とは違う。ただ、寂しいと思うだけ。
少し怖いのは、そんな寂しさすら薄れてしまうことだった。

 

思い返してみると、私はもう随分と長いこと寂しさを忘れているような気がする。
小学生の頃、寂しい私は登校しながら泣いていた。
中学校の頃、寂しい私はベッドに丸まって泣いていた。
味のないものでいいから、とにかく何か胃につめ込みたい衝動に駆られていた時期もある。

 

ひとり暮らしも十年目になろうとする今、あの身を切るような強烈な寂しさは、皮肉にも姿を消していた。

不思議な話だと思う。あの頃より人と会うことは格段に少なくなったはずなのに。

 

何かに満足したのか、何かを諦めたのか。
あるいはただ単に、今よりも心が敏感だったのかもしれない。
味覚のまっさらな小さい子が苦いピーマンを嫌うように、あの頃の私にとっては寂しさが毒だった。

 

歳を取る。色々なものを食べて、味覚は鈍くなっていく。
歳を取る。色々な出来事に触れ、心臓を覆う神経が麻痺していく。
美味しいものの幅が広がったと考えるべきか、本当の味が分からなくなったと考えるべきか。
楽に生きられるようになったと捉えるべきか、あるはずの痛みを忘れてしまったと捉えるべきか。
いいことなのか悪いことなのか。きっとこれからも私に答えは分からない。

 

真っ白な皿に箸を置く。
残っていたコーラで喉を潤し、今度こそパソコンではなく、デンモクへと手を伸ばした。

一昨年の私はバイト先からケーキを貰って喜んでいた。
けれどそのバイト先とも色々あって、あまり良くない形で辞めてしまった。
ハッピーエンドの秘訣は幸せに向かって進むことじゃなく、最高潮のところで幕を引くことだと思う。
シンデレラだって結婚後、幸せになったとは限らない。
どれだけ憂いても、世界も私自身も、毎秒色を変えてしまうのだから。

 

それでも心強い事実として、私は今も昔もフライドポテトが好きだった。
だったら心の方も、あの頃と変わらないものがあるんじゃないか、なんて。
そんな子供じみた理屈を振りかざしたくなるほど、不変にすがりたくなる夜ではあるけれど。

 

流行りの歌の間に古い曲を混ぜながら、上手くもない歌を響かせる。

寂しくて安全な1600円。

ひとり分の部屋の中、浅く夜は過ぎていく。

二月の欲望パンケーキ

突然、パンケーキを食べたくなった。
それも素朴なやつじゃなくて、生クリームとフルーツが乗っている豪華なやつ。

 

調べてみるも、あいにく近所にパンケーキ屋なんてものはなく、わざわざ電車に乗るのも億劫だった。
それなら仕方ないと、スーパーに向かってみる。
いつかの私がなぜか、ホットケーキミックスだけは買っていてくれたのだ。

 

炭酸水と冷凍ベリーと生クリーム。
ほとんど買わないものばかりで、スーパーを回るだけでも一苦労だった。
それでも、偶然にもバレンタインの時期。
お菓子の材料は全面に売り出されていたから、普段よりは楽だったのかもしれない。

 

家に帰ってまず、生クリームを泡立てる。
すでに泡立っている市販のクリームがあることは承知の上だったが、私はそこまで甘くないクリームをたっぷり使いたかった。
ハンドミキサーなんて上等なものはないから、甘さを調節したいなら己の手で泡立てるしかない。
あまり変化のない生クリームに不安になりつつ、イヤホンから流れる曲が五曲目に差し掛かったあたりで一気に固まってくる。
これで食べたいものはほとんど完成だった。

 

あとは心置きなくパンケーキを焼く。
生地には牛乳の代わりに炭酸水を使った。
ホットケーキミックスの野暮ったい感じが消え、薄っぺらくてもちもちで、ハワイっぽいパンケーキが出来上がるのだ。

あとは冷凍ベリーと生クリーム、蜂蜜をやりたい放題盛り付けて完成だ。


我ながら理想に近いものが出来たと、ウキウキしながらひと口。
温かくてもちもちな生地……を堪能する前に、圧倒的な生クリームで溺れそうになった。
甘さを控えめにしたのは正解だ。たくさん食べたって蜂蜜がきちんと際立っている。
まだ少し凍った苺やブルーベリーが酸っぱくて美味しい。
パンケーキのご馳走感にフルーツは欠かせなかった。
これが食べたかったんだ! と、稀に見る充足感でフォークを進める。
食事らしくない、楽しい食事だった。

 

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新しいバイトを始めて1カ月になる。
他にも確定申告を終えたり、続けていた仕事の方にも変更があったり。
思いのほかバタバタしたくせに、2日も短いのだから2月は狡い。

 

バイト先にはだんだん馴染んできたものの、まだ色々と模索している途中ではあった。
出会う人がどんな人なのか、私はどんな私でいればいいのか。
やはり集団に混ざること、そしてそこに目的が発生すると、色々と余計な考えを巡らせてしまう。
だからこそ初日は緊張して仕方なかった。

 

どこかの歌詞の引用みたいになるけれど、私の長所は真面目なところだと思う。
締め切りを遅らせたことはないし、遅刻をしたこともない。いい子でいることは得意だったし、何より好きだった。
ただ、真面目さが長所として生きるのは学生時代だけだった。

 

給与という責任が伴ってくると、途端に不安の方が勝ってくる。
そうなると何をするにもとにかく動きにくい。
出勤前から心臓がもたないし、仕事中もおどおどしている割に、しっかりやろうとするからスピードが落ちる。

 

そもそも、学校だろうが仕事だろうが「いい子」「出来るやつ」なんて思われる必要はないはずなのだ。
経験上、褒められることが気持ちいいだけであまりいいことにはならない。汚れ役を押し付けられるだけだ。
なのに、学生時代はその褒められることが何よりも嬉しかったし、しょうもないプライドなのか、悲しいことに完全に「出来ないやつ」と思われることは今でも怖かった。

 

その結果、中途半端に背伸びをして勝手に疲れてしまう。
もはやいつものことだった。
きっと私の真面目さの正体は、不安や心配を落ち着かせたいという、長所でもなんでもない欲求なのだろう。

 

ただ幸いなことに、私ももういい歳だ。
自分の正体は分かっていたし、だからこそ無理のない仕事を選ぶことには成功していた。
今のバイトは急かされることもなく、ひとりでの作業も多いから私にとっては楽だった。
夜勤というのも私にとっては魅力的だ。
それに接客に関しては、初バイトの時より緊張しなくなっていることに気が付いた。

 

つい先日、前のバイト先の人達との連絡は全て絶ってしまった。
それでも何もかもがリセットされるわけではないと知って、少しほっとする気持ちだ。
相変わらず豊かではないけれど、金銭的な不安も減った。
パンケーキを食べたいなんて欲が出てきたのも、ひょっとすると少し安心出来たからなのかもしれない。
休みたいのは前提として、意外にも労働だって悪いことばかりではないのだ。

 

パンケーキを食べたいから買い物に行く。
甘くない生クリームのために自力で泡立てる。
不安や心配を落ち着かせるため、私をチューニングするのも同じようなことだった。
ちょっと面倒だけれどそんな風に、私は私の欲求に付き合っていくしかないのだ。

一月の迷走シチュー

寒いから、シチューを作る。

 

スーパーで久々に野菜コーナーを回った気がする。
じゃがいも、人参、エリンギに玉ねぎ。牛乳に、鶏もも肉とほうれん草。
出来るだけ面倒は避けたいから、鶏ももは最初から切ってあるものを、ほうれん草は冷凍品を買った。
久々にやる気が出ているとはいえ、なるべく省エネで料理したい。

 

ついでにおたまとフライ返しを新調した。
シリコン製の物を使っていたのだが、夏のキッチンに耐え切れなかったのか、洗っても洗ってもベタついていた。
ノートの最初のページを丁寧に扱うように、調理器具が新しくなると料理をしたくてたまらない。我ながら単純だ。

 

玉ねぎとエリンギ、鶏もも肉を炒めて、しんなりしてきたら牛乳とルーを投下。
昔は小麦粉から作っていたけど、家にある小麦粉もバターも、多分、年単位で賞味期限が過ぎている。
恐ろしいのでルーを買って、冷蔵庫はそのまま。いい加減掃除しなければ。
ほうれん草を加えて、レンジで温めたじゃがいもと人参を加えて、ちょっと煮込んで出来上がり。

 

気合いが入りすぎて、なかなかにあふれそうだ。
実を言うと、じゃがいもと人参は半分くらい入りきらなかった。

 

牛乳が多めだからか、ルーがそういう仕様なのか、食べてみると、記憶の中よりまろやかな味が広がる。
人参は甘くて、じゃがいもも崩れていない。エリンギの食感は楽しくて好きだった。
鶏もも肉にしたのも正解だと思う。焼いた時ほど油っこくないのにみずみずしい。
生姜なんて入ってないのに、食べ進めるうちに背中のあたりからだんだんと温まっていく。
冬の味。単純だから、これだけで健康になってしまいそうな気がしていた。

 

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バイトを辞めて、気が付けば二ヶ月が経っていた。
新年を迎えたらバイト探し頑張るぞ!なんて意気込んでおいて、頭の方は帰省疲れにダウン。
文章すらまともに打てない始末だった。

 

それからもあまりやる気になれないで、貯金は減っていくばかり。
ベッドの中で仕事探しアプリを往復しつつ、思考ばかりがどんどん広がっていく。
何かに追われている時、見えている人生はせいぜい数年なのに、一歩を踏み出そうとした途端、人生には果てがなくなる。
考えてみればどの節目でもそうだった。

 

中学校を卒業、高校を卒業、大学を卒業、バイトをやめる。
中学生だった頃は、期末テストだとか、部活のことだとか、中学生の自分のことだけを考えていれば済んだ。
感覚としては高校も大学も同じだ。バイトをしていた時も。
けれどそこから出なければならなくなった時、途端に時間が広がる。怖くなる。

 

卒業だったり、退職だったり、その度にその時の自分と、その時々の人達とお別れして、またゼロに戻る。
ゼロに戻るのに、人生だけは十数年先まで広がっている。戸惑っている間にも、私は歳を取ってしまう。
もちろん、そのどれもが分断されているわけではない。当たり前に人生は続いているし、私は続いている。
頭では分かっているけれど、やはり私はその都度武器を置いてきているような気がする。

 

ごちゃごちゃと考える前に、きっと一歩を踏み出しさえすれば、あとは同じなのだろう。
何かに属してしまえば、また数ヶ月先のことを考えるだけで済む人生が待っている。
ただふと我に返った時、いつまでそれを繰り返せばいいのだろうとまで考えてしまう。
いつかお別れは来るのに。どうせいつか、またゼロに戻ってしまうのに。

 

多分、節目を超えてすべてを知っていてくれる存在として、恋人やパートナーとしての家族があるのだと思う。
でも生憎、私にはそんな存在はいないし、今後もそこまでさらけ出せないような気がしている。
だから私は私自身で、私の存在意義を作っていかなければならない。
そう考えた時、やっぱり私の中で永続しているのが物語だと思う。

 

最近思うに、私が愛しているのは物語であって、書くことそのものではない。
もし絵が身体に馴染んでいれば、漫画を描いていただろうし、音楽のノウハウが馴染めば音を作っていたかもしれない。表現できればきっと何でも良かった。そんな中で今、一番馴染んでいるのが書くという行為だ。
だから私の人生をひとつの物語として捉えた時、やはり書くことに収束するのが一番綺麗な終わり方だと思う。

 

大きな夢があるわけではない。特に目標もない。
けれど、どのシナリオにも起承転結があるように、ストーリーには筋を通さなければならない。
社会で生きていく上ではあまり武器にならないかもしれないけど、私の人生において、書くことはきっと味方になってくれるはずだった。

 

と、色々考えてはみたが、一月中にバイト先を決めるという目標は滑り込みで達成している。
少し落ちていたのは、それだけ前のバイトを真面目にやっていた証拠だとも思う。
すでに新しい職場にビビり散らしているが、これでまた数ヶ月先のことだけを考える人生に戻ることになる。
その分、物語を続けていくことがおざなりになりそうな気はするから、今日この文章を書いたのは半分戒めだ。
シチューを作って食べるためにはお金が必要だけれど、その時間もまた私の物語の一部になっていく。


いつか全てがひと続きの面白い物語になって、大団円を迎えられるように。
布団から出る。体はもう、すっかり温まっている。