食べ物と私

食べます。

ナポリタン回想録

 子どもの頃、父が作ってくれたナポリタンはおもちゃのような味がした。

 

 父のナポリタンが出てくるのは、母が飲み会に行って居ない時、だいたい金曜日の夜だったように思う。 
 もっと簡単な料理もある気がするし、惣菜でも良かっただろうに、なぜか父はいつも決まってナポリタンを作った。

 

 今はあまり見られなくなった少しおどけた口調で、父は台所に立っていた。子どもの頃は父を愉快な人だと思っていたことを思い出す。
 その口調は、母の不在に少しだけ不安になっていた私を元気付けるためのものだったのだろうか。単に子どもと触れ合うのが嬉しかったからなのだろうか。
 どちらでも嬉しいが、後者だといいなと密かに思う。

 

 お待たせの時間だー!と、そう言って父は調理中、いつも切ったハムをつまみ食いさせてくれた。私と、多分妹もそれを楽しみにしていた。
 私は幼すぎて、父が作るのがナポリタンという名の料理だということも、母の作るミートソーススパゲティとは別物だということさえも分かっていなかった。
 だからナポリタンの調理中にハムが出てくることにも、何の疑問も抱かなかった。が、数年後に普通ウィンナーじゃない?と気付く事になる。
 ただ、ほかに何が入っていたか覚えていないほど、ハムの時間は私にとってお楽しみの時間だった。

 

 出来上がったナポリタンは、テレビの前に置いてある低い机で食べた。普段はその横にある高いテーブルで、きちんと椅子に座り、ご飯を食べていた。
 テレビの前のテーブルでご飯を食べるのは、小さなパーティーを開く時だけだった。

 

 父のナポリタンは、母のスパゲティより柔らかいように感じた。ソフト麺か何かだったのかも知れない。
 しっかりした赤色に染まっていて、ハムが紛れ込んでいて。とても美味しかった。そして楽しかった。
 母の優しい味の手料理ももちろん好きだったが、分かり易いケチャップ味の、かわいい具が入ったおもちゃのような父のナポリタンと、それを食べる時間も私は大好きだった。 

 

 いつもと違う特別な席で、母のいない中、3人でドラえもんクレヨンしんちゃんを見ながらナポリタンを食べる。
 それは少しだけ日常とズレた、ふわふわした時間だったように感じる。
 その後は楽しい気分のまま眠りにつくか、早目に帰ってきた母に、学校や食事の話をするかだった。いずれにしろ、家にいるのにホテルに泊まりに来ているような、高揚した感覚だった。

 

 ナポリタンが消えたことにすら気づかず、すいすいと時は進み、父は単身赴任、私は今一人暮らしをしている。
 上機嫌に戯けた父をもう何年も見ていないような気がする。父はあまり喋らない。
 私もあの頃より少しだけ大きくなり、もうナポリタンとミートソーススパゲティの違いだって分かってしまう。 父を1人の人間としていろんな側面から見るようになり、腹が立ったこともある。


 ただ、時々あの頃の父が懐かしくなる。今ナポリタンをせがんだら、父はどんな顔をするのだろう。
 あの頃のように上機嫌で、ハムをつまみ食いさせてくれるのだろうか。

 

 私も時々ナポリタンを作る。
 父の使っていた麺は分からない。ナポリタンは昔のような赤じゃなく、オレンジ色に染まる。そして、ハムじゃなくてウィンナーを入れる。
 それでも名残なのだろうか。私は何となく、その中にタコさんウィンナーを混ぜる。

 

 私にとって、ナポリタンはまだおもちゃのままだ。

 

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