食べ物と私

食べます。

25歳になったら終わろうと思ってた

25歳になったら終わろうと思っていた。

 

春から夏にかけての過ごしやすい季節。

大学院に入ったばかり、当時22歳だった私は何もかもに辟易していた。

 

きっと社会では生きていけないと分かっていたから、居場所を作るためどうにか大学院に受かったものの、やっぱりそこは窮屈で。

でもこれからどこへ行こうとこの窮屈さが一生続くだろうということは、22年間生きてきて何となく分かっていた。

 

課題をこなしたり、いい成績をとったり、社会に出たり、お金を稼いだり、いい人になったり、いい家族を作ったり。

 

まだ22歳。

やらなければならないことは沢山あったけれど、なんだか想像するだけで息が出来ないような気がした。だってそのどれもが別にやりたいことではなかった。

 

私には欲しいものもやりたいことも、つまりは何の理由もなかった。

 

それでもまだ22歳。まだ22歳だ。

続いてしまえば人生は長い。あと3倍以上、下手したら4倍以上はある。

しかも若くて甘やかされてるのは、許されているのは今のうちで、どんどん体だって思うように動かなくなってくる。責任も増えるし悲しいことだってたくさん待ってる。

 

こんなところで悲鳴をあげていてどうするんだ。こんなところで死にたくなって、私は生きていけるのか。

あと10年、20年、30、40年。遠い、あまりにも遠い未来を、生きていけるのか、生きていかなくてはならないのか。

……本当に、そうなのか。

 

「25歳とかで、辞めてしまえばいいんじゃないか」

 

タイミングは忘れたが、ある日ふっとそう思った。

 

死にたがりは何もその時に始まったことではなかった。

 

中学、高校。

分からないけどそのあたりから私は悲しかったし、寂しかった。

 

じゃあ誰かがそばに居ればいいのか。誰かの一番になれたら私は幸せになれるのか。

 

試行錯誤、もがいてもみたけれど、そばに誰かが居たって泣きにくくなるだけで、泣かなくて済むわけじゃかった。

誰もかれも、もちろん私だって一番は自分だった。

 

そんなのならもう、本当に辞めてしまいたくて。

 

そう思っていたにも関わらず私が生きてきたのは、単純に死の瞬間の恐怖に耐え切れなかったからというのがひとつ。

 

私の何もかもを手放すことは惜しくない。ただ痛いのは怖い。単なる防衛本能だとしても、やはり死ぬことは怖かった。

もちろん、恐怖は生きる理由にはなってくれなかったけれど。

 

そしてもうひとつは、自死を選ぶにはここに居すぎてしまったこと。

 

それなりに知能が付くくらい大きくなってしまったし、知能が付いた分金も掛かってしまった。両親をはじめ、私は他者の世界に少しだけ足跡を付けてしまっていた。

たとえいずれ風化するとしても、その人たちが今すぐ私の足跡を手放してくれない限り、死ぬには少し後ろめたい。

ここが酷い場所だ知っている私が、良くしてくれた誰かにこれ以上苦しい思いを突きつけるわけにはいかなかった。

 

けれど、それは22歳の話だ。

 

25歳。あと3年。

死ぬ時の痛みがどうなのか。何もかもが消えてなくなる向こうの世界。

誰も知らない痛みとその後の無を、何度も何度もイメージする。怖いけれど、覚悟を決める。

難しいかもしれないけれど、きっと3年もあればある程度は折り合いをつけられると思った。

 

それに3年も疎遠にすれば、その死に対して誰かが負い目を感じることもなくなるかもしれない。

誰かにつけてしまった足跡だって、これだけ時間があれば生前にその深さを最低限に出来るのかもしれなかった。

 

そして3年後といえば、私は大学院を卒業して社会に出て、どこかで働いて1年経った頃。

そこまで頑張れば、少なくとも一般の優秀な人間として、責務は果たせるのではないか。

私を責め立てている誰かにも、もうきっと許してもらえるんじゃないか。

 

衝動的に軽々しく、あるいは何となく死にたくはなかった。

きちんと考えて考えて、ひとつの選択として死ぬことを選びたい。幸せになりたい。

いわば己の喪の作業だった。

 

とはいえ命日を決めたわけではない。

もし考え抜いた結果、答えが変わるのならそれでもよかった。

とにかく、真っ当な人間だとか社会的地位とかいい人だとか。

この泣きたくなるようなわけのわからない荷物を持つのはあと3年だけ。

3年経ったら消息不明になるなり死ぬなりなんなりすればいい。

 

25歳で終わらせよう、そのために準備をしておこうと、私は22歳の時に決めたのだ。

 

そして今日、私は25歳になった。

 

先に言うと、死ぬつもりはない。

というのも、残念ながら私は25歳まで我慢が出来なかったのだ。

 

自分の余命が3年と思い込んだ途端、わがままな私は「最期の3年までちゃんとする必要があるのか」と考えてしまった。

多分、長く生きなけらばならないこと自体が私にとっての大きな足かせになっていたのだと思う。

 

だからまだ22歳だったのに、私はさっそく大学院を辞めたいと教授に直談判しに行った。

1年生の前半、初期も初期だ。

けれどあと3年しか残されていないなら、大学院なんて全くもって行きたくなかった。

どうせあと3年で終わるのなら、卒業することで得られるメリットも私には関係ない。

結局、それはやりたいことではなかったのだ。

 

結局退学は叶わなかったものの、資格を諦めることでかなり負担を減らしてもらえた。

時間が手に入ってやりたいことが、息ができるようになった。

このブログを始めたのもおそらくこのタイミングだったと思う。

今こそ更新は少ないけど、私にとっては大切なことだった。

 

それから何だかんだ卒業して、会社には勤めなかった。

別にやりたい仕事、行きたい会社があるわけではなかったから。

不安がなかったと言えば嘘になる。

けれど一年経った今、社会に出なくてもどうにか稼いで一人で生きていけることを立証できた。

もちろん全然お金はないけれど、私はそれでもよかった。

 

今はいいだろうけど、職歴がなきゃ将来困るんじゃないの?

もっと貯金しておかないと老後大変だよ。

いとこが結婚したらしい。

近所の○○ちゃん、子供が2人目になるんだって。

 

決して投げやりになっているわけじゃない。

けれど、もういいのだ。

この先の長い不安は捨ててきた。将来のことを考える時間も、そして意味もない。

 

だってたった今死んだって、私にはもう悔いがない。

 

死ぬ気になれば何でもできる! という言葉は昔からあんまり好きじゃなかったけど、その通りかもなあと、今になって思う。

 

明日死ぬと本気で思い込めば、たとえば仕事をサボってサーティワンを食べにいくとか、将来のための貯金を放り出して会いたい人に会いに行くとか、そういうことが出来た。

きっと行きたくなかったあの日、学校だって休めたのかもしれない。

もちろん、最初からやりたいことを掬いだせる人も居るんだろうけど、私はそうじゃなかったから。

 

今、不安定ではあるけれど穏やかな場所を見つけて、作って、死に迫る必要はなくなった。

ただ、もう死にたくないかと言われると話はまた別だ。

 

幸せとは何なのか、生きててよかったと思える瞬間は来るのか。

誰の言うことが正しいのか、間違ってる感情がどれなのか、何が悪くて何が善で、常識とはなんなのか。

 

この歳になっても世の中のことは何ひとつ分からないし、これからも分からないのだと思う。

まだこの歳だからという考え方もあるかもしれないけど、これだけ生きたのにまだ? なんて気持ちにもなる。

 

早生まれも早生まれ。

最近はSNSで可哀想と呼ばれているのを見るし、生まれた時点から確かにちょっと、私は後ろの方に傾いていたのかもしれない。

 

あまり生に執着がないからか、寝なかったり食べなかったり、食べ過ぎたり病院や健康診断に行かなかったり。

希死念慮だって時々強く顔を出す日もある。

25歳になっても私はまだ、この世を去ることが一番の幸福だと疑っていない。

 

けど、総じて今の方が軽くもあるのだ。

 

独りよがりだと言われれば、そうだと思う。

こんな生き方や考え方じゃ、もしかしたらこの先ずっとひとりぼっちで、誰とも分かり合えることはないのかも。

甘えてるのかも。笑われちゃうかも。

あるいは、誰にも知られないまま。

 

それでも一番の幸福を諦めている私だから、生きている間は好き勝手していいと、私はそう信じている。

 

そんな自分勝手な私だけど、先日、バイト先からホールケーキをもらってしまった。

 

嬉しかった。

たとえ業務の一環だとしても、私のために買いに行って、選んでくれる人達がいること。

私はこんなにも独りなのに、諦めているのに、閉ざしているのに。

本当に、本当にありがたいことだと思う。

 

20代後半になった今、名前の書かれたチョコプレートをわくわくしながら口に運ぶ。

これだけ蛇行しているけれど、私はやっぱり小さい頃から何も変わってないのかもしれない。

分からないことは多いけど、バースデーケーキがずっと嬉しいことだけは確かだ。

 

だったらお葬式の時にもケーキを用意して欲しいなあ、なんて。

深夜。誰かに怒られそうな、でも私にとっては至極真っ当なことを思ってみるのだった。

 

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