昼間に海鮮丼を平らげつつ、夜、私達の目の前にはピザがあった。
何故か。勿論、私達が頼んだからだ。
ジャンクフード。大人数。パーティ。ピザと聞くとそんな言葉が連想される。
こんなことを言ったらピザ職人に怒られるのかもしれないが、そう言えば味わうためにピザを食べたことがないかもしれない、と、これを書きながらそう思った。
どちらかというと、楽しい時間のお供、というイメージが強い。
大学時代もよくピザをみんなで囲った。
実家は田舎過ぎてデリバリーが届かなかった(そもそも店舗があったかどうかすら謎だ)ので、一人暮らしを始めてポストにピザの広告が入っているのを見た時は、結構嬉しかったりした。
それでも、ピザを頼むときは誰かが側にいた。私は基本お一人様が大好きなのだが、まだ一人でピザを食べたことはない。
ピザは私達のテンションを限界まで上げてくれるし勿論美味しいのだが、いつだっておかずだ。なぜなら主食はおしゃべりだから。
それに、分かり易いのだ。
ガツンと塩気の効いた大量のチーズも、甘辛い照り焼きも、一切の遠慮なしにぶち込まれたマヨネーズも、酸味で主張してくるトマトソースも、ごろごろと転がっているこんがり焼けた具も。
話半分だろうが何だろうが、脳に直接味が届いてくる感じ。ピザのいいところだ。
そんなピザにありつける、楽しい楽しい夜。私達は話して、話して、話した。
本当に、人間ってこんなに喋れるんだ、と思うくらいには喋り倒したし、めちゃくちゃに笑った。軽く10時間は声を発していたと思う。自分でも驚いた。
紛れもない、ピザ・パワーだ。
主食になれない代わりに、ピザはメニュー決めの時点で私達のテンションを限界まで上げてくれる。
時間がたって冷めてしまった数切れだって、楽しい時間の足跡みたいだった。
きっとピザには時間を派手に彩る不思議な力が宿っているのだと、私は思っている。
力強い味はいつだって、私達が全力で夜を楽しむためのエネルギーとなるのだ。
大人になるとピザパーティーをすることが減るとどこかで聞いたことがある。
本当に哀しいことに、年々油がくどくなっていくような感覚が既にある。確かにもう数年経てば、胃の問題的にキツそうだなと思う。
けれどまだピザをチョイス出来るあたり、私達は二十歳を超えたって子どものままなのだろう。
出来ればずっとピザに甘んじていられる私で、私達で居たいけれど。
結局朝4時まで話し、起きたらどこか行こうかと言いつつもまだ部屋で話し続け、気が付けばどこも行かずに日は落ちてしまった。
そんなこんなで友達を送った帰り道。
少し痛む喉を抱えつつ、楽しい夢から覚めた今、明日からをどう乗り切ろうか模索する羽目になるのだった。