食べ物と私

食べます。

熱くて痛い、ラピュタパン

変則的な日の朝。

ちょっと違う体験があるから落ち着かない。

いつも以上にベッドから出られなくて、でもやることは溜まっているから、少しだけ頑張って布団を抜け出した。

 

まずは昨日やり残した洗濯から。

事前に色々と済ませておけばいいものをなあなあにして結局、どたばたして家を出る羽目になってしまう。

学習しないな、と思いつつ、さっさと朝ごはんを作ってしまう。今日は簡単にラピュタトーストだ。

 

今日は午後から、人と会う約束があった。

最近は気分が沈んでいるから、気晴らしにはいいのかもしれない。

ただ約束の直前になると、大抵のことは面倒に感じてしまうから厄介だ。

 

とはいえ、人と会うことだって、大人数になればなるほど大変になるとは思う。

 

宿を選ぶこと、料金を考えること、間を読むこと。

 

あー、あの人が言い出したのに、これやりたくないんだな、とか。

あれ、また私この子に任せちゃってる。怒ってるよね、なんだか嫌だな、とか。

 

人に関しても自分に関しても、小さな粗がチクチクと見えてしまって、そのまま私を削っていく。

小さな不和が反響して、苦しくなってしまう。

 

嫌いたいわけじゃない。

ただ、思ってしまうことはほぼ反射だから、私にとってどうしようもないだけで。

簡潔に言えば器が狭いのだ、私は。

消耗品として人を見ている。

 

だから独りでいた方が、きっとお似合いなのだ。

人のためにも、自分のためにも。

それは少し、やっぱり寂しいのだけれど。

 

オーブントースターが音を立てる。

朝の用意の完成だ。

 

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もう幾度となく作っている、ラピュタパン。

何度も食べているくせに、大体いつも待ちきれずに急いで食べるから、口の上を火傷してしまう。卵が結構熱いのだ。

 

美味しいけど痛くて、不快。

 

なんだかなぁと思いながら、またサクサクと食べ進めてしまう。

どうにかこうにか甘い蜜だけ吸うことができれば、と常にそう思う。

パンに関しては待てばいいし、逃げられやしないけど、人はそういうわけにはいかないから。

 

自分のコントロールの方法が、一番、一番難しい。

己の嫌な面を見るだけじゃ、分かることはそれだけなのだ。

 

パンを食べ終わったと同時に、ぴー、と洗濯機が音を立てる。

時間はそんなに残されていない。

早いところ色々と済ませてしまわないと。

 

何のために急いで、何のために奮い立たせているのか。

冷たい洗濯物を手にしつつ、やはり人間に感情はあんまり要らなかったんじゃないかな、と悪魔のようなことを思ってみるのだった。