食べ物と私

食べます。

利己的野菜カレー

昼間飲んだトマトスープにカレーを入れたらいいんじゃないかと提案したところ、昼ごはんがカレーになった。

 

朝、昼、夜、とちゃんと食べるのは久々であるような気がする。それがいいのか悪いのかはちょっとわかりかねるけど。

 

スマホをいじっている間、母が話しかけてくる。

多分誰かがいる状況での沈黙に耐えられないのだと思う。つまりはそこまで私達は親しくないということで。

 

しかも振ってくるのは将来の話だから、余計にタチが悪い。

多分、親という生き物は子供の将来が気になるんだと思う。

得意の想像をしようとすると頭にかすみがかかったようになってしまうから、多分私も上手いこと母を受け入れられていないのだけれど。

 

曰く、別に好きに生きてもいいけど、妹に迷惑がかからないように生きろということらしい。

何かあった時に責任を負うのは先に死ぬ親ではなく妹だと。

 

回りくどいような気がする。

言っていることは正論だが、多分母が言いたいことはそこじゃないだろう。

「あくまで私はあなたの生き方を許すけど、他はどうかな?」みたいな言葉にすごく心が荒れてしまう。

 

きっと一番私を認められないのは、母親なのに。

 

第一、誰かに迷惑を掛けないようにと、そんなことばかり考えて今まで考えて生きてきた気がするのだ、私は。

少なくとも、誰も自分の為に生きていいとか、好きなように生きていいとか、そんなことは言ってくれなかった。

 

だからこそ私は、私の思うように生きていいと。

そう言ってあげると決めたのだ。

 

この期に及んで他者を枷にしようとしてくる姿勢に、いっそ嫌気さえ覚える。

 

しかし、多方面におせっかいな母親。

そういう生き物なのかどうかは分からないが、やはり頼んでいないのにカレーが出てきた。

 

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お肉なし、えのきにおくら、トマトににんじんが入った野菜満点のカレー。

ちょっと辛めで、粘度があって、手作りのカレーの感じがあって美味しい。

五穀米を使っているところもなんだかお洒落な母らしかった。

 

身内に対して様々な感情を抱くのは当然だと思う。

ただそれが、生まれながら「この人に従わないと生きていけない」と考えている、いわゆる本能によるものなのか、自分で考えてのことなのか、どこの線引きになっているのかは分からない。

 

分かっているのは私が母に対してまだ認められる嬉しさを感じてしまうことと、なるべく母に会いたくない気持ちがあることだ。

 

こんなに色々なことを言ってなお、母は長く私に帰省してほしいと思っている。

私もこの人も、全くどこまでも利己的だった。