食べ物と私

食べます。

遅い朝にフレンチトースト

最近朝が遅い。
早起きは数少ない私の特技ではあるのだが、夏休みはそれすら奪ってしまう。はたまた連日降り続ける雨のせいだろうか。
いやはや、恐るべし。

 

そんなこんなでベットに転がったまま2、3時間。
こんな堕落しきった生活でも腹は減る。
仕方なしによいしょと起き上がり、私は昨日買ったばかりの食パン、小さな卵、そして久々に顔を覗かせる450mlの牛乳を手にした。

 

この春から、私は2リットルの牛乳を買わなくなった。
食べることが好きで、その割に味の分からない私は、一人暮らしを始めた頃から値段を理由にいつも低脂肪乳を買っていた(この時点で牛乳ではないのだが)。

 

最初の内こそ、牛乳は必需品だったのだ。
食パンに卵、そして牛乳。
朝は断固としてパン派の私にとって、この三つは家から無くなることのないものだった。

 

しかし、ある時気が付いた。一人暮らしに2リットルは多すぎる。

 

夏はいいのだ。牛乳に混ぜて飲む、カフェモカキャラメルマキアートの素が私は好きだったから。2リットルなんてあっという間だった。
問題は冬である。ただでさえ凍えそうなのに、冷蔵庫で冷えた牛乳はどうしても飲む気になれなかった。
結局賞味期限に間に合わず、その度にクリームシチューやホワイトソースを大量生産する羽目になったのだ。

 

じゃあ、買わなくていいか、と。
そう思った時に「困る!」と叫び出すのが卵料理たちだった。

 

スクランブルエッグやオムライス、そして、フレンチトースト。

 

その醍醐味であるふわふわ感を出すために、牛乳は必要不可欠だった。
勿論卵だけでも良いのだろうが、やはりちょっと強い味になってしまうような気がする。
牛乳と卵。この最強コンビだからこそ、洋食の卵料理は生きるのだ。

 

そんなこんなで大学在籍中の四年間、ずっと牛乳の賞味期限に追われていた私だったが、この春から牛乳を買うことをぱったりと辞めてしまった。
理由は簡単だ。料理をしなくなったのだ。

 

今日はスクランブルエッグの気分だ。
チーズパンが食べたいな。
レタスとハムがあるから、今日はサンドイッチだ!

 

そんな風にお腹や頭と相談して迎えていた朝はどたどたと忙しく、また眠気を帯びた憂鬱なものに変わってしまっていた。
私は食欲の化身なので食べるには食べたが、トースト一枚焼くだけ、出来る日はあまりフライパンが汚れない目玉焼き。
勿論それで十分だとは思うのだが、私にとっては何とも侘しい朝だった。

 

あれだけ重要だった牛乳は、あっさりと私の冷蔵庫から姿を消したのだ。

 

そして、昨日。ふとスーパーの乳製品の棚を見た時。
変わらずに陳列された牛乳が、私を呼び止めた。

 

当たり前のことだ。私が買わなくなったからと言って、世界から牛乳が消えていたわけではない。
しかし、私はその時、きちんと牛乳の存在に気が付いた。
寂しくなった冷蔵庫と、ぽっかり空いた朝の空気を、初めて思い出したのだ。

 

忙しさにかまけていた今、家にはカフェモカキャラメルマキアートの素などない。飲み切れるか分からない。卵料理にしか使わなくて、残りを駄目にしてしまうかもしれない。

 

うーん。それでも。

 

少し悩んで、私は数年ぶりに低脂肪乳ではない本物の、でも以前より量の少ない牛乳を手に取った。
丸っこくてかわいい卵たちを、ほんのりと甘さが漂うふわふわに変身させてあげる為に。

多分、尊いことなのだと思う。きっと素敵なことだ。

 

久しぶりのフレンチトースト作り。
卵液の適量が分からなくなっていて、砂糖をふんだんに使ってしまった。
入れすぎたかな?なんて思いながら、でもハチミツをかけた。フレンチトーストと言うからには、ハチミツは欠かせない。

 

コーヒーも淹れた。ちゃんとドリップしたものだ。
時間はかかるし、多分全然なってないやり方なのだろうが、関係ない。
甘い甘いフレンチトーストのために、誠心誠意、ゆっくりとコーヒーを淹れることこそが、私にとって重要なのだ。

 

雨音が響く湿気の籠った部屋で、それでも幸せでいられるように、私はフレンチトーストを食べた。
甘く、美味しい時間。拙い私がこの世を生きていく上で、それはこの上なく大切な時間だから。

 

冷蔵庫には、まだ牛乳が残っている。
リミットは30日。次は何を作ろうか。

 

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