食べ物と私

食べます。

でっかいチーズと豊かな朝

久しぶりに朝らしい時間に起きることの出来た朝。

顔を洗って、口をゆすぐ。

パンを電子レンジに放り込み、フライパンを火にかけた。

ぼーっとしながら卵を落とす。

 

今日はなんかやることあったけなーなんて考えながら、目玉焼きが完成しそうになって、そして慌てて気が付く。

 

やべ、チーズ!

 

一気に目が覚めた。

私は残り時間1分30秒と表示されたトースター機能付きの電子レンジを問答無用で開き、トーストになりかけた食パンの上に、いつもより一回り大きな四角いチーズを乗っけた。

 

食パンとチーズの組み合わせ。私はこれが大好きだ。

目玉焼きだけでも十分だけど、その間に一枚チーズが挟まるだけで幸福度が違うのだ。

チーズがあるだけでパンは豊かになる。

しかも先日訪れたスーパーで、いつもより大きなチーズを買ったのだ、私は。少しだけ規則正しく出来た朝。これを使わない手はないだろう。

 

豊かな朝。

嬉しいことだ。少し大きなチーズも、それだけで喜ぶことが出来る私も。

 

個人的に、贅沢と豊かさはちょっと違うと思っている。

 高級ホテルで朝のブッフェを食べること、欲しい服をかたっぱしから買いまくること。

これらは贅沢だ。贅沢するのもいい。というかしたい。

 

それに対して豊かさは、もう少し質素で小さく、それでいて心が満たされる。

例えば、目玉焼きに塩だけでなく、胡椒をかけること。

キッチンに粗挽きブラックペッパーと普通の胡椒があること。

いつもより丁寧に掃除をすること。しようという気になること。

雑貨達を部屋に飾ること。映画を見るためだけの日を作ること。

空が青くて、風が気持ちいこと。それに気が付けること。

ちょっといいアイス。少し大きめのチーズ一枚。

贅沢には終わりがあるが、豊かさが尽きることはないのだ。

 

そして、豊かになるには少しのお金の余裕がいる。

お金は大事だ。というより、お金の悩みで削られる心のダメージが深刻過ぎるのだ。

ただお金を得るには、ちょっと心を削らなければならない。

私にとってはここのバランスが非常に難しく感じる。私はあらゆる意味で脆弱だった。

こう考えると、豊かさと余裕は割と似ているのかもしれなかった。

 

出来上がったチーズ入りラピュタパンを頬張る。

口いっぱいに広がるまろやかな塩気。流石大き目サイズ。目玉焼きが無い部分でもトロンとチーズなだれ込んでくる。

美味しい。嬉しい。

 

いつか、意味もなく色々な調味料が溢れるキッチンになればいいと思う。

躊躇いなく、3つの卵でオムライスを作れる私になればいい。

好きな漫画を買って、沢山の音楽を聴けるようになればいい。

 

今の私はお金も豊かさもまだちょっと足りないけど。

でもきっと、これも悪いことじゃないのだよ。私。

 

半ばそんな風に言い聞かせながら、先日買った、本物の牛乳に手を伸ばすのだった。

 

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