食べ物と私

食べます。

朝のカフェオレ、砂糖二杯。

イライラした朝だった。

憂鬱も限界を突破すると怒りに変わる。しかも今日は寝不足なのだ。

 

適当にパンを用意しながら、いつもよりももっと雑にコーヒーを淹れる。ドリップタイプの簡素なものだ。

 

一応蒸らしはしたが、それからはほぼ何も考えず、黒く湿った粉にただ湯を注いでいく。

どこかのマスターが見たら泣いてしまうような朝だ。でも私だって泣きそうなのだ

 

だから、コーヒーのドリップもカップの半分でやめてしまった。

 

今思えばちょっともったいないような気もするが、さっさと粉は捨ててしまい、代わりに砂糖を二杯、黒い水に放り込む。

 

カララ、と音を立て砂糖を溶かし、冷蔵庫の中にあった牛乳を一気に入れてしまう。

 

イライラにブラックは似合わない。

こんな忙しく絶望的な朝で、私を絆してくれるのは甘さだけなのだ。

 

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本当に最近、甘いものが続いている気がする。

でも、そんな私を咎めていたのもずいぶん前の話だった。

 

食べたいものを食べる。

こんな正直すぎる生活をしているから現在157センチ60キロと、私は普通に太っている。

 

もちろん、なんというか少し後ろめたい気持ちに時々なったりもするが、今はもうそれでもいいかな、なんて思ったりもするのだ。

 

生活に支障はないし、何より頑張りたくないというのもあるが、多くのところは心の余裕についてだ。

 

幸せの定義は色々だと思うが、何にするにも自分の気持ちをどうにかできるのは結局のところ自分だと思う。

心の余裕を作るのは自分自身だし、私にとって手っ取り早い方法が食だった。

 

それならば、もう制限するのをやめてしまえばいいじゃないか、と。

 

まずは自分自身で自分自身のことをどうにかしなければ、他者の手を取ることは出来ない。

その他者だって自分自身のことを自分自身で何とかしている人じゃないと、私は不安だ。

 

既にあっぷあっぷの人生、これ以上重くなっては大変なのだ。本当に。

 

私も、私の周りの人も平穏に過ごすために、食べることは必須なのだ。

 

と、まあ言い訳じみたことばかりで、ダイエッターさんに怒られてしまうような気もするが、あいにく私の知り合いにダイエッターはいない。

ととのつまり私を怒る人はいないのだ。

 

味わう余裕はないが、食パンを詰め込み、とりあえず緩くなったカフェオレを流し込む。

 

美味しい、より憂鬱は勝つ。

しかし、甘いことだけは確かだった。

 

怒りはちょっと薄まったような気がする。

あとはこの重い瞼をどうにかしたいのだが、そこは甘さに混ざったカフェインに縋るしかないのであった。