食べ物と私

食べます。

バームクーヘン、誰かの文

昼間、気分転換に出かけたコンビニで少し気になるスイーツを見つけて、上機嫌で家に帰った。

 

私はチョコレートが好きだ。そしてこの時期はチョコがたっぷりあしらわれた商品が出でくるので、とてもとても助かっている。

買いに行くのに寒いことだけが、玉に瑕なのだが。

 

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買ってきたのは、バームクーヘンの中に生チョコが入っている、なんとも斬新なスイーツだ。

これならチョコをたんまり堪能できそうだと思いつつ、フォークを入れる。

 

外側のバームクーヘンもしっとりとしていて美味しいが、醍醐味はやはり真ん中に注がれた生チョコ。

思った通り、ねっとりとしたチョコの味が口へゆっくりと溶け、広がっていく。

 

バームクーヘン自体は特筆するほど好きではない。

ただ、バームクーヘンと聞いて思い出すのは小学校一年生の頃、先生が読み上げた友達の日記についてだ。

 

私の記憶が正しければ、小学一年生の時には週末、日記の宿題が出ていた。

ムーミンのノートに書いて提出するそれが、私はあまり嫌いじゃなかった。

 

そして出来が良かったものか何かを、先生が教室で読み上げるのだ。

その中の友達の日記に、「バームクーヘンを作った」というものがあったのだ。

 

バームクーヘンって作れるものなんですね、と、先生も驚いていたような気がする。私もなぜかその事実が衝撃的で、ずっと覚えているのだ。

 

大人になってからも少し気になって、クラシルか何かで調べてみれば、四角いフライパンで作るレシピが確かに出てきた記憶がある。

 

何となくずっと覚えている友達の文章。

少しだけ書くことにアイデンティティを見出してきた今なら、もしかしたら暗い感情も芽生えてくるかもしれない。

いや、嘘だ。既に小学校中学年くらいになった時から、文章が評価されると嬉しかったし、他の人をライバル視していたりしていた。

 

しかしともかく、その時は純粋に引き込まれるように友達の文章に聞き入っていた。

 

他にも、ただトマトが嫌いだということを書き連ねただけの日記。母の日に「私の将来の夢はお母さんになることです」と書いてのけた友達の手紙。

 

私が小学生を卒業してから、もう10年以上経つ。

それでも、きっと書いた本人でも忘れている文章たちを、私は今でも覚えている。

 

そして漠然と、私もそんな文章を書けたらいいな、なんて思ったりしている。

万人に共感されなくていい。深く刺さらなくたっていい。

ただ、心のどこかに引っかかって、何となく忘れられない。

そんな厄介な文章を書くことが出来たのなら、私は満足なのだ。

 

口の中の甘さをコーヒーで流し込み、一息つく。

何にせよ、私に出来ることと言えば書くことくらいしかないのだ。

 

午後からパソコンに向かおうと思いつつ、ひとつ、あくびをこぼすのだった。