食べ物と私

食べます。

愛さないで

悪いことが重なっている。

仕事が上手くいかない。

 

新しい場所に越してきて、もう半年になるだろうか。

今もこの暮らしは気に入っているが、こうやって少し隙間が出来た途端、不協和音が津波のように押し寄せてくる。

 

今後の予定のこと、通帳の残金、明日のパンがないこと、掃除が行き届いてないこと、やらなければならないこと、自分の気力。

 

もう一週間、冷蔵庫には何もない。

 

何となく、朝に起きられなくなった。

今は多分、みっともない必死な顔で一人、パソコンに向かっている。

 

まるで透明にでもなっていくようだった。

一人の部屋で寂しくて、不安で不安で、誰も居なくて。

でも、それでいて安心することも事実だ。

自分が誰の目にも触れていないことが、人との関わりが消えて行く感覚が、寂しさの中で安心をもたらした。

私にとっては多分、丁度良かった。

 

思うに、私は大成できる人間ではない。

 

大成した人物というと抽象的になるが、例えば年収が億を超える人、誰もが知っているあの人、限定的な世界で、それでも名を馳せている人。

 

憧れる。

たくさんの人に支えられて褒められて、存在を認められて。

そんな未来があるのなら、今ここで息をすることだって少しは楽になるんじゃないかと。

無意味な日々に少しでも色が付くんじゃないかと。

 

憧れるのなら、理想の安寧を得たいのならば、そこまで到達すればいいとも思う。

やりたいこと、やらなければ生きていけないことはもう十分分かっているのだ。

だったらあとはそこに向かって走り出して、勝ち取って、望む未来を手にすればいいと。

やるしかない、とは私の大好きなキャラクターの口癖でもある。

 

けれど、私は彼と違い、憧れる一方で、否定されたくない気持ちが人一倍強かった。

否定されるくらいなら評価なんていらない。

そう思ってしまうくらいに、私は自分を批判されることが恐い。

何なら、恐怖が怒りに変わってしまうほど。

 

おそらく、私は自分を愛しすぎているのだと思う。

 

私はきっと、心から誰かを尊敬したことがない。

どこかで人を見下さないと、私は誰かと関わることが出来ない。

本当に下らない。そんな自責の声も随分前に飽きてしまった。

だって私はこの期に及んで、成長出来ないことすら悪とは思えないでいるのだ。

 

所在ない。

 

そんな人間が、何かに対して一途になれるはずもない。

なれるとすれば、自分自身に対して。

そこにずっと限界を感じているからこそ、いつもうっすらと希死念慮が香っている。

 

自分への愛を手放して、傷つくことに慣れなければ、きっとこの世を生きることは難しい。

それが出来ずにいるから人と深く関われない。上手く息が出来ない。

それでも誰かと関われば関わるほど、いかに私が強く自分を愛しているのかが浮き彫りになって、心の底から嫌になる。

だから寂しくとも一人が安心する。全て私の問題だった。

 

今、丁度いいところに収まっているとは思う。

穏やかなようで、時々首に刃物を突き立てたい衝動に駆られる。

今に始まったことではない。

だからもうその反復だって何らおかしくない、自然なことだと飲み込んでしまうことが出来る。

これもある種の成長なのだろうか。

 

縛りもない、触れ合うこともない、自由な独りぼっち。

気楽なものだと思う。

この身一つ。自殺願望こそないが、私は今すぐに死んだって一向に構わないのだ。

 

今日の夜こそ、買い物に行きたいと思う。

深夜のスーパーは人が居なくて、やっぱり少し穏やかになるのだ。