ようやく重い腰をあげ、スーパーに行った。
思い立ったから100均にも。
ずっと暗かったトイレの電球を変えてみたくなったのだ。
暗いオレンジ色の電球。
不便だけど使えるからと、この半年間放置してしまっていた。
白い200円のLEDは予想以上に明るくて少し驚く。
スーパーの収穫は、卵とハム、ベーコン、サンドイッチとカフェオレ。
本当はもうちょっと食べる物を買う予定だったが、あいにく食べたいものが浮かばなかった。
酷くお腹が空いたような、はたまたお腹が痛くて吐いてしまいそうな。
考えてぐるぐる歩いているうちに疲れてしまって、結局レジに向かう。
今は少し苦めのカフェオレを飲んでいる。
コーヒーの甘さは結構お腹に溜まるのだ。
それがいいことなのか悪いことなのか、それは分からないけれど。
秋は寂しくなる季節なのかもしれないと思う。
毎年毎年、あまり得意ではない季節だった。
いつか慌ててバイトを始めたのも、困って病院に行き始めたのも、確かこの季節だった。
焦燥と憂鬱。本質の時期だ。
どうしたら楽に生きられるか、というのはよく考える。
よく考えはするが、底のある問いであることはもう十二分に分かっている。
あまり目を向けるべきではないということも。
けれど今は忙しさで誤魔化すことさえ難しく、色々と直視する。
本当は全部、不毛なことだと思ってはいるのだ。
この憂いだって季節のせいにしてしまえる。
嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも、全部刹那的なものだ。
明日になれば、眠ることさえできたら忘れてしまう。
そこまで私の容量は大きくなかった。
ただ、寂しさは少し、その中でも手ごわい。
あなたが他者にそう出来ないように、あなたを応援してくれる人はいない。
あなたが他者にそう出来ないように、あなたを心から心配して、想ってくれる人はいない。
どこへ行こうと誰も助けてくれやしない。
他者は他者で、あなたはあなたで、何もかもをどうにかしていくしかない。
それはとても寂しいことかもしれないけれど、きちんと飲み込んで、納得しなければならない。
全部が全部、ここまで生きてきたあなたの責任だから。
何度も何度も縋って学んで、諦めたことだ。
今更どうも思わない、思わずにいたい。
それでも時々、誰かに頭を撫でてもらいたくなる。
何も生産できなくても、ただ地球を穢すことしか出来なくとも、それでいいよと言って欲しい。
私を余すことなく知ってくれる人が在って、その上でその人に抱きしめられたら。
そしてその人と全く同じ心で、その人を抱き返すことが出来たのなら。
それはきっととても幸せなことだろうと、ずっと夢に見ている。
酷く我儘に育ってしまったものだと思う。
つまりは今、とても寂しいのだけれど、この部屋には卵とハム、ベーコンしかいない。
期限以内に食べきることを目標に、とりあえず今日は眠れたら良い。