食べ物と私

食べます。

一人の特権、モッツァレラ

久しぶりに一人の夜。

家にこれといったものもなく、かと言って外に出る気力もない。

出前も何だか違う気分だったので、どうにか冷蔵庫の中から何かを探す。

 

そして見つけた、モッツァレラチーズとじゃがいも。

じゃがいもに至ってはもやしのような芽が生えてきているが、この際ああだこうだ言っていられない。

引っこ抜けば何とかなるだろうと、水洗いもそこそこに皮を剥き始めた。

 

最近は酷く眠ることもなく、こうして寒い中キッチンに立つことも増えたきた。

伸ばし伸ばしで日付が変わる寸前に入っていたお風呂も、どうにか夕方に済ませることができている。

食欲だって戻ってきた。

 

何が原因か、と問われればただひとつ。

この長い休みのおかげだろう。

 

以前誰かが、休日は考えて作られているんじゃないかと思う、と言っていた。

人の体が悲鳴を上げる前に、いいタイミングで組み込まれているんじゃないかと。

 

私としてはまだ足りないくらいなのだが、加えてこの冬の休みが無かったらと思うとゾッとする。

もしかしたら疲労と憂鬱でぺしゃんこになってしまっていたかもしれない。

 

そんなことを考えつつ、じゃがいも二つを薄くスライスしていく。

5センチくらいの芽が出ていても、ピューラーで厚めにむいてしまえば何も問題はなかった。

ぺろぺろになったじゃがいもを耐熱皿に並べつつ、今度はモッツァレラチーズも切っていく。

 

本当はプチトマトにオリーブオイルと塩胡椒をかけて食べるのが、モッツァレラチーズの一番好きな食べ方なのだが、あいにくこの家にはトマトなんてものはない。

 

じゃがいもと交互にモッツァレラチーズを敷き詰め、オーブンでちょうど良くなるまで焼く。

最後にオリーブオイルと塩胡椒をかければ、完成。

 

何かよくわからない、創作料理だ。

 

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創作料理とはいえ、材料はチーズとじゃがいものみである。大体味は分かる。

フォークでチーズをパスタのように巻き取りながら、まだ熱々のじゃがいも口に入れる。

塩胡椒がいいアクセントになって、ほくほくとじゃがいもが崩れていく。

 

モッツァレラチーズは割と頑固で、ガムのように口の中にいつまでも残っていた。

焼いたことはあまり無かったので、これもまた景観である。

 

こんな一か八かの適当な料理が作れるのも、一人の特権である。

成功しても失敗しても、自責感に駆られることがないのだ。

ちなみに今回の料理は60点というところである。

 

芋を全て食べ終わり、何だか分離している汁を眺めつつ、せっかくのモッツァレラチーズ

今度は絶対に生で食べてやろうと、そう心に違うのだった。

寒い夜と冬のアイス

パソコンでの作業中、気がそぞろになってきたのを感じ、ぐっと背伸びをする。

スマホを触り出したり、違うタブを開き始めてしまった時はもう駄目だと経験上知っている。

 

終わらせたいことはあるが、別にやりたいわけではないのだ。

集中力が切れてしまうことも許して欲しい。

 

さてどうするか、と、硬い椅子から降りてから、ふと思い出して冷凍庫を開ける。

行き詰まった時に必要なのは気分転換、そして糖分だ。

 

アイスは、冬になると本気を出してくるような気がする。

 

もちろん夏だってたらふく食べてはいるのだが、味自体は冬に出るアイスの方が好みだ。

早い話、私は氷系のアイスよりもクリーム系のアイスの方が好きなのだ。

 

そして、別に旬があるわけでもないだろうに、冬になって見かけるようになるのが、チョコレート。

こちらも私の好物の一つだ。

 

だからコンビニで甘いものを求めていた際、寒いにも関わらずアイスコーナーを確認し、まんまとカゴに入れてしまった。

昼間は結局食べなかったが、先程風呂に入ったこともあり、今体は暖かい。チャンスだ。

 

というわけで、買ってきたアイスを手に、エアコンのよく当たる位置へ座り込む。

冬のアイスは好きだが、寒さは苦手なのだ。

 

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初めて買うアイスだが、パッケージからこってりした味が想像できる。

あいにく木のスプーンはなく、かと言って洗うのも面倒だったため、なぜかそこにあったプラスチックのスプーンで側面を掬う。

 

まだ少し硬く、十分な一口とは言えないが、それでもカカオの香りがふわりと広がってくる。濃厚なチョコ味。

 

もう少し食べ進めていけば、ほろほろとした生地のガトーショコラを発掘。

その名の通り、アイスクリームというよりケーキに近い。

夜中に食べるには申し分ないほどの満足感を与えてくれる。

 

沁みていく糖分に頬が緩む。

やはり私が生きていく上では、甘いものなしでは駄目なようだ。

 

少し冷えてしまった体を抱えつつ、空になったカップとスプーンを捨ててしまう。

 

寒がりのくせに、私は冬のアイスが大好きだ。

けれど、このアイスが夏に出たとしても、きっと私はここまでの充足感を得られない。

いや、そもそも買っていなかったかもしれない。

 

冬のアイスは冬に食べるから、きっと美味しいのだ。

だからこの寒さだって、ちょっとしたスパイスで。

 

とは言え風邪をひいては困るので、先程よりも厚着をして作業へと戻る。

 

甘さと冷たさで凛とした頭。

何だかもう少しだけ、頑張れそうな予感がした。

他者の人混み、大人なパフェ

大きな駅。

例のごとく待ち合わせ場所を駅名だけにしてしまい、集合するだけでかなりの時間がかかってしまう。

 

いつも同じ過ちを繰り返しているにも関わらず、的確な集合場所を指定できるほど地形にも詳しくないため、結局私たちは学習しないままである。

それでも何とか毎回出会えているという事実も、この怠惰を加速させているのかもしれないが。

 

今日、この大きな街に来たのは、友人の用事に付き合うためだった。

この友人は以前海鮮丼を一緒に食べ、推しについて語り合い、クリスマスを共にした友人だ。

このブログにも度々登場しているので、勝手に友人Iと名付けてしまおう。

多分許してくれるだろう。多分。

 

歩きつつ、これからの用事について友人Iは語った。色々と理解され難い、という話だ。

人は思ったよりも他人に興味がある生き物だ。

自と他の区別をつけることは、きっとずっと難しい。

だからこそ、触れない方法、目の瞑り方を学ぶことは、自分を守る意味でも酷く大切な事のように思うのだが。

 

そんな話をしているうちに、友人Iは十分足らずで用事を済ませて来てしまう。

もっと時間がかかるかと思っていたのだが、案外そうでもなかったらしい。

こんな十数分で完結してしまうことに、目くじらを立てる人も大変だなぁ、とぼんやり思う。

 

それからは賑やかな街、回転寿司のように人が流れていく中、私達二人もそのレールに乗って歩いた。

この人混みを難なく歩くことが出来る人と、数メートル歩いただけで酷く疲れてしまう人。

この差だけでこの世の生きやすさは随分と変わってくるような気がする。

ちなみに私も友人Iも、もれなく後者である。

 

疲れたね、座りたいね。そう言ったのは、どっちが先だったか。

とにかく意見は合致して、適当なカフェに入ってみる。

こういったテンポが合うことは、一緒に居る上で結構重要な事のようにも感じる。

 

体を休めるため、よく考えずに入ったものの、思いのほかオシャレな内装に、二人して少し驚いてしまう。

メニューもどこか洒落ていて、少し気分が上がった。

また二人で話すこと数分。やってきたのは、大人なパフェ。

 

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こういう言い方は誤解を招くかもしれないが、こんなに空間が多いパフェは初めて見た。

もちろん悪い意味ではない。美人系のパフェだ。

 

どこから食べようか迷った挙句、はみ出していたチョコレートアイスを細長いスプーンで掬って、一口。

ほろ苦く、あっさりとした味。確かに、大人の味かもしれない。

食べ進めていけば、イチゴのジェラートや酸味の強いベリー系のソースがスプーンに絡んでくる。

控えめでいて、しっかりとした、不思議なパフェだ。

 

もう暗くなっちゃったね。

大きな窓から外をのぞきつつ、桃のスムージーを口にした友人Iがそう言う。

きっとこれを食べ終わってしまえば、またあの人の多い大きな駅で、お別れなのだろう。

 

ちょっと名残惜しいまま、私はグラスの底をつつくのだった。

新年に洋食を

 

目覚めたらもう午後を過ぎていた。

初日の出も何もない。

最近はこんな日ばかりだと思いつつ、一月一日、世間ではめでたい日なのでなんでも良しとする。

 

寝ぼけ眼で冷たい携帯をいじると、ラインの通知が21件。

ざっと見たところ半分はお店の宣伝メッセージだ。

あとは家族と、数人の友達。

 

早く返さなければ、と思いつつ、もう今更急いでも遅いか、と考え直し、またベッドに潜る。

今日は特にすることもない。

完全なる寝正月で終わりそうだ。

 

まだ揺蕩う眠気に身を任せても良かったのだが、同様にお腹も減っていることに気がつく。

 

冷蔵庫にあるヨーグルトでは物足りない予感がしたので、どうにかベッドから這い出て、久々にトーストを焼くことにする。

 

ついでにこちらも久しぶりな目玉焼きをつくりながら、いや、普通今日はおせちとかお雑煮なのでは?と自分でツッコミを入れてみる。

 

油断すると頭から抜け落ちてしまうが、今日から新年。朝だって、多分和食が一般的なのだろう。

しかしおせちはもちろん、餅すら一人暮らしのこの家には無い。

 

よく売ってある鏡餅の置物でも買っておくべきだったか、と心にも無いことを思いながら、焼けたトーストを取り出す。

 

ただでさえ「朝食を作る」という行為すら久しぶりなのだ。

その点だけでもどうか許して欲しい。

 

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湯を沸かしてスティックコーヒーでも飲もうかと考えるが、湯を沸かす時間が面倒なのでやめにする。

今日はとことん堕落していたいのだ。

 

トーストを一口、齧る。

どうせなら、と乗っけたチーズがびよんと伸び、目玉焼きもとろとろ過ぎない、いい硬さを保っていた。

 

安定した味。

それなのに、なんだか随分久しぶりの朝食であるように感じる。

どうやら新しい年を迎え、ちょっと元気も回復してきたらしい。

 

食べ終わったお皿もそのままに、ベッドへ戻りつつ、そういえばお参りはどうしよう、とぼんやり考える。

なんせこちらに引っ越してきてから、初めてのお正月なのだ。

どこの神社が一番近いのかすら分からない。

 

しかし、段々と考えることすら面倒になってしまい、思考を放り投げる。

そもそも人が多いところは苦手なのだ。

おみくじもゲームの中で引いてしまったし、もうそれで良しとしてはダメだろうか。

 

ゴミのような考えだ。

罰当たりかもしれないとも感じるが、そもそも神様に何かいいことをしてもらった記憶もない。

そんな言い訳を重ねつつ、いよいよ初詣にすら行かない未来が見え始めたところで瞼が重くなる。

 

まぁ、好きにすればいいか。

 

結果そんなどうにもならない結論に落ち着きつつ、今度こそ私は目を閉じるのだった。

 

 

 

振り返る、年越しそば

今年もいよいよ最終日になってしまった。

とは言え、実家に居ないからか、それとも予定が詰まっているからか。

あまり年を越す実感はない。

 

それでも大晦日という大義名分に甘えて、13時過ぎに身を起こす。

まだ眠りたい気持ちもあるが、今日中に片付けておきたいこともある。

いつものようにパソコンに向かいつつ、ぼんやりと今年を振り返る。

 

今年は一言で言うと、激動の年だった。

新しい環境に身を置き、縮こまり、慣れないまま逃げまどい。

今は比較的安定した地に足をつけているものの、これだっていつまで持つか分からない。

 

不安定な日々だった。本当に。

同時に、人に一番迷惑をかけた季節だったようにも感じる。

書いているうちに何だか鬱々としてきた。

自分一人ならまだしも周りも巻き込んで。最悪じゃないか。

 

新年の訪れと共に、何かをリセットできたなら、と思う。

出来たら今日で終わりにしたい。終わりに出来ればいいのだが。

 

一方で、そんな一年を生き延びることが出来たのは、もはや恒例となった、推しのおかげである。

その証拠に、数えてみたら二次創作の方だけで35万字書いていた。正気の沙汰ではない。

これから長生きしたとしても、きっとこのキャラクターの存在だけは忘れないだろう。

ついでに頭も上がらない。

 

窓の外、曇り空から、ちらほらと雪が降っていることに気が付く。

雪の降る大晦日。何となく「らしい」ような気がする。

 

そう考えてはたと気が付き、同居人が買ってきたカップそばを見る。

今夜、これを食べることになるのだろうか。

 

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去年は確か、年越しそばは食べなかったような気がする。

去年もご時世のおかげで帰省せず、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読みながら年を越したのだ。

今年と同様、年を越した感じは無かった。

 

今年は小説一冊、読む余裕がないことが悔やまれる。

いや、それも言い訳なのかもしれない。

きっとこうやって、ひとつずつ何かが減っていって、最終的には何もできなくなってしまうのだ、私は。

 

なんだかゆっくりと終わりに向かっているような。

そんなイメージ。そんな感覚。

やはり、新しい年を迎えるには、いささか悲観的すぎるのかもしれない。

 

テレビをつければ特番やカウントダウンなど、様々な楽しみが待っているのだろうけど、どうにもそういう気になれない。

このカップ蕎麦を食べる頃には、少しでもお祭り気分を味わえているといいのだが。

 

ゆっくりと息を吐き出して、再び画面へと向かう。

日常と非日常の、その狭間で。

私はまた今年も、何とか生きたのだ。

 

眠い目を擦る。

皆さんどうか、良いお年を。

りんごとココアと悪い夢

母親に、悪口を言う夢を見て目を覚ます。

夢など最近、とんと見ていなかったと言うのに。

おまけに目覚ましよりも三十分早く目覚めてしまった。

 

全く、嫌な朝だと思う。

リアルな夢を見た日は、特に。

 

今日は少しだけやらなければいけないことがあるのだ。

とりあえず身を起こして朝ごはんを探す。

早く目覚めたのも、時間に遅刻するよりはいいのかもしれない。

 

あまり食材が無かったため、仕方なしに冷蔵庫からりんごを取り出す。

そして寒さを紛らわすためのブレンディのスティックも。

今日はココア味だ。

 

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艶々としたりんごをそのままかじる。

実家にいた時も大概そうしていたが、一人暮らしをしてからはりんごの皮をむくことなど全く無くなってしまった。

小学四年生の、あの苦労したりんごの皮むきの授業はなんだったのだろう。

 

甘酸っぱい冷たさに、甘ったるいココアを飲む。

ミスマッチだと思った。

だが仕方ない。りんごは冷たいのだ。温かい飲み物は必須だった。

 

ぼんやりと食事をしながら、今日の夢を思い出す。

夢の中で私は実家にいて、今の生活について母に話していた。

私と母。二人だけがそこに居た。

 

同期の話になった時、私は少し愚痴を漏らした。

その時、母が何と言ったのかは覚えていない。

ただ、母は歪に笑った。

前のめりになるほどの興味が八割、後の二割は汚い好奇心と仄暗い楽しさで出来たような、そんな笑み。

 

そしてきっとその時、私も母と同じような顔をしていた。

 

これが夢の中だけだったのなら、どれほど良かったことだろう。

目が覚めた今でも、その時の母の顔が頭から離れない。

 

悪口を控えようとしている人や、好きではない人は山ほど居るだろう。

ただ、純粋に悪口の楽しさを知らない人間は、この世に一体どれくらいいるのだろうか。

 

りんごの少し痛んだ部分を見つけ、齧って一欠片吐き出す。

そんな夢を見ておきながら、このりんごも、このココアも、全部全部その母が丁寧にダンボールに詰めてくれた仕送り品なのだ。

 

なんであんな夢を見てしまったのだろう。

しかも、本当にピンポイントで汚い部分だけ。

今年実家へ帰らないことに、罪悪感でも感じているのだろうか。

 

何だかなぁ、と思う。矛盾はとても生き辛い。

 

まだ頑張ればもう少し身が食べられそうなりんごを、それでもティッシュに包んで捨ててしまう。

ココアを飲み干せば、溶け切らなかった粉末がコップの底を汚していた。

 

コップ、洗わなきゃな。

そんなことを思いつつ、同じコップに飲み水を注ぎ入れるのだった。

 

嫌いな時間と肉豆腐

スーパーへ行こう、と約束したのが昨日。

そして絶賛昼夜逆転中の同居人を待っているうちに、日が落ちた。

寒いのは苦手なので、今日はもう家にあるものでどうにかしようと考える。

 

冷蔵庫からくたびれたキャベツと玉ねぎを取り出す。

とりあえずキャベツは全部スープにして煮込んでしまう。

 

私が好きな橋本紡さんの、どれかの小説で、怒りが溜まると煮込み料理を作る主人公の姿が描かれていた。

なんとなく、気持ちは分からないでもない。

スープには玉ねぎを少々、そしてキノコと付け足して鶏がらスープの素で味付けしておく。

 

残りの玉ねぎをフライパンで炒めつつ、冷水解凍した、まだ少し固まっている豚ひき肉のミンチをそのまま入れてしまう。

ミンチをどうにかそぼろ状にできたら、水に顆粒出汁、砂糖、みりん、醤油。

そして冷蔵庫に眠っていた絹ごし豆腐と冷凍していた大根を入れて、これまた煮込む。

 

このタイミングでようやく起き出してきた同居人に声をかけつつ、片栗粉でとろみをつける。

 

私にとっては晩御飯。同居人にとっては、何ごはんだろう。

 

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どちらも汁物っぽくなってしまったが、一応片方は肉豆腐のつもりだった。

先日、コンビニで食べた肉豆腐が本当に美味しかったのだ。

とろとろとしたそれをスプーンで口へ運ぶ。

熱々の豆腐にはちゃんと味が沁みていて、豚挽き肉も噛めば噛むほど肉汁が出てくる。

 

玉ねぎはとろとろで、だいこんはくたくたで。

良い出来だと思った。特に最近、弱っている胃腸には優しくて。

 

食事中、話は私の友達のことになる。先日、お菓子の家を一緒に作った友達だ。

また近々、彼女の用事に同伴することになったのだ。

 

ぺちゃくちゃと、同居人はその「用事」について語っていく。

 

知らないから教えてください。分からないから共有させてください。興味があります。

そんな装いの裏にある、軽蔑に似た好奇心が香ってくる。

 

嫌いだった。ニタニタとした笑顔が汚らしく思えて。

 

これ以上話をしたくなくて、いいじゃんか、と言ってみる。価値観は人それぞれだし、と。

それでもそれはあまりに盲目的であると、同居人はまたひきつって笑った。

こちらがわざと盲目的にしている事すら気づかない。

話したくない、というサインを受け取る能力が、同居人にはない。

そんな同居人に、そもそも馬鹿正直に用事を打ち明けたのがまずかった。

 

もう悪いのは私でいい。だから黙って欲しかった。

 

なんだかお腹いっぱいになってしまい、私はすぐに手を合わせてしまう。

相容れないものはある。当たり前だ。仕方のないことだ。

ただ、なんでそれを放っておくことが出来ないのだろうと、それだけが酷く疑問だった。

 

良く出来たと思った肉豆腐は、まだ半分ほど残っている。