食べ物と私

食べます。

センチメンタルカップうどん

先日、二回目のワクチンの接種を終えた。

ということで、久しぶりの高熱に苛まれた。本当に久ぶりだ。

普通なら不意に訪れるはずの高熱に備えるというのも変な感覚で、色々なものを買いながら、私は台風前のような非現実的な浮遊感を感じていた。

 

結局熱は九度まで上がって、その後二日間、私はその時買ったものを食べて生きた(写真を撮る余裕はありませんでした、ごめんなさい)。

 

幼い頃、熱が出た時と言えばアイスボックスだった。父も母もなぜか決まって買ってきていたのだ。

冷たくて気持ちいい氷の中に、サイダーやアクエリアスを注いだものをよく飲ませてもらっていた。

おかげでアイスボックスのグレープフルーツ味は今でも心なしか風邪っぴきの味がする。

 

他に記憶に残っているものと言えば、熱が下がったタイミングで母親がつくってくれた塩むすびだろうか。

回復した直後、しかも自分でリクエストしたくらい欲していたということもあってか、かなり美味かったのを覚えている。

思春期の頃は体調不良これ幸いとばかりに食を抜き、何キロかの減量に成功したこともある。

 

しかし回復せねば何かと困る一人暮らしになってからはそういう訳にもいかず、食べられる時になにか食べておこうと、カップ麵に頼るようになった。

 

今回買ったのも、どん兵衛のきつねうどんだった。あとはゼリーにプリン、杏仁豆腐。

おにぎりは賞味期限の問題で、アイスボックスは帰り道で解けてしまいそうだったので買えなかった。

 

解熱剤を飲んで微熱になったあたり、そして身体を動かす気になった一瞬のタイミングを見計らって私は湯を沸かした。待っている間ベッドに戻るとまた面倒になりそうだったので、キッチンに置いてけぼりの椅子に座ってヤカンを眺めていた。

熱があろうと身体がだるかろうと、全部自分でやらないといけない。

寂しいし、心許ない。けれどやってみれば何となく出来てしまうのだ。

 

お湯を注いで五分間。出来上がったカップ麺を一人、割りばしですすった。カップうどん特有の、この平な麵が私は好きだ。薄っぺらいかまぼこも、甘さの滲むお揚げも。

それでもやはり本調子でない身には味が濃く、量も多いと感じてしまう。こればかりは仕方ないだろう。

残しても食べてくれる人はもういない。こういう所だけ、私は大人になってしまったのだ。

 

食べ終わった後もキチンと汁を流し、虫が沸かないよう軽く容器をゆすいだ。

ついでに歯も磨いて、ベットサイドにアクエリアスを準備し、寝転がる。

 

淡々と。しかし確かに時は進む。有難いやら、哀しいやら。

 

起きたら熱が治まっていて色んな気持ちも忘れているといいな、なんて思いながら、また私は眠りに落ちるのだ。