食日記をつけるようになって、さぼり度合いが顕著に見えるようになってきた。
最近自炊できていない。
おまけに写真のストックもなくなってきている。ピンチだ。
ということで今日は古い写真を引っ張り出して、昔話、もとい推しの話である。
この日は友達とカフェに行ったのだと思う。確か、私が「パフェ食べたい」と言ったのだ。私が、パフェを食べたいと言ったのだ。
しかし気づいたら、何故か目の前にはパンケーキ。
おかしい。こんなはずではなかった。私は確かにパフェを食べに来たはずだったのに。
両サイドの友達二人にケラケラと笑われながら、私は温かくてもっちもちのパンケーキを口にした。
原因は分かっている。推しである。
チーズケーキとパンケーキ。それが私の推しの好物だった。
なんだそのチョイス、可愛いかよなーんて思いながら、この二つのメニューを頼む回数は以前に比べあからさまに飛躍した。コンビニでもよくチーズケーキを買ってしまう。もはや反射だ。もう仕方がない。
この推しに落ちたのは、大学卒業直前の一月。
見事だった。外堀を徐々に埋められて、気づけば沼の中だ。
今は時折ぶちこまれる供給に悶えつつ、ほぼ彼が生きる理由となっている。
元々ハマりやすい気質はあった。一番最初に突き動かされたのは、某海賊船に乗る緑髪の剣士である。
しかしその熱が最高潮の時、私は中学生で推し活らしい推し活が出来ずにいた。
そして熱が落ち着き早数年。様々な推し方があると知った私は、かつての胸の高鳴りをもう一度体験しようと大学四年間、それはもう様々なジャンルを渡り歩いた。
アニメはもちろん、漫画、ゲーム。
片っ端から試し、夢中になれるストーリーには出会えた。好きなキャラも何人かいた。
しかし、なぜか推しと呼べるような推しは出来なかった。特にゲームなんかは全く続かずに辞めてしまっていた。そもそもが飽き性なのである。
それがどうだ。クリティカル満塁大ホームランである。しかもジャンルはゲームだ。人生本当に何があるか分からない。
推し活は楽しい。本当に楽しい。
この昂ぶりと興奮は推し以外からはおそらく得られないと思う。特殊だ。
そしてこの特殊な感情に、私はここ半年生かされているのだ。
甘い甘いいちごのパンケーキを食べながら、自分が甘党でよかったと心底思う。
きっとこの熱はなかなか冷めない。私はそれから数年、性懲りもなくパンケーキとチーズケーキの罠に溺れ続けるのだろう。
ソースに浸された最後の一口を食べながら、きたる11月、人生初、正式に祝うことのできる推しの誕生日はどうしようか、なーんて考える私であった。