色々と終えて帰宅。
長い一日だっだが、勝負はこれからだった。
忙しい時期は何となく構えることができない。
気づけば巻き込まれているような、いつの間にか渦中にいるような、そんな感じ。
そして今は絶賛、忙しい時期だ。
何故かやることが終わらない。
夕飯もお風呂も終えて、あとは早い明日に備えて眠ってしまいたいのに、パソコンを開く。
デジタル時計は23時を指していた。
適当に好きな音楽を流しながら、パチパチとパソコンを叩いていく。
思考など等に死んでいた。感覚で書いている、脳死で書いている。
あまり良いことではないのだが、また明日見直せばいい。
今はとにかく、「出来ている」という余裕が欲しいのだ。
こんな深夜でも、いくら疲れていても、どこかしらのタイミングで集中できる場面がやってくる。
没頭して、指の動きが頭について行かないほどの。
しかし、残念ながら今日はそれが訪れてくれない。
どうやらそういう日らしい。
何度目か、気を抜くと開いてしまうTwitterを閉じ、ため息をつく。
その時、チラリと目の端に入った白い袋。
脳死の状態で、椅子に座ったままゴソゴソと袋を探る。
小さい頃、この体勢で椅子から落っこちて、脱臼したことあったっけ。
成長した私は横着も上手くこなせるようになり、上手く掴んだ柔らかい球体をテーブルの上に置く。
昨日の仕送りに入っていた、みかんだ。
手触りはへにょへにょと頼りない。
これは多分身と皮の間に空洞がある、剥きやすいみかんだ、なんて遠くで思いつつ、ぐっと親指を突き立てて皮を剥く。
予想は当たりだ。ぐぐっと音を立て、白い筋が破れていく。
みかんは好きでも嫌いでもない。
けれど、スーパーに並んでいるものを買うほど好きじゃないことは確かだ。
だから私がみかんを食べる時は、大抵貰い物なのだけれど。
筋もそのままに、一つ、口の中に放り込む。
結構甘い。酸味の少ない身が弾けて、薄皮が口に残る。
皮を収集しようとティッシュに手を伸ばす。
みかんといえば、エルマーの冒険を思い出す。
竜は皮の方が好きだったような。
衛生上どうなんだろう、なんて現実的な面白みのないことを思いつつ、皮を捨てた。
どこかのゲームのキノコのように、みかんを食べるとパワーアップしてくれればよいのだが、実際、みかん一個が私に与える影響力は少ない。
特にお腹がいっぱいになるわけでもなく、めちゃくちゃな幸福感に満たされることもなく。
そもそも脳死の状態だ。今はきっと何の感動も届かない。
けれど、脳死の状態で、きっと私は何かの休息を求めていたのだろう。
その先にあったのが、みかんなのだ。
少し退かしていたパソコンの位置を戻す。
やらなければ終わらない。やらなければ終わらないのだ。
みかんのおかげか、強迫観念か。
あとちょっと、と、私は再びパソコンに向き合うのだった。