変な時間に晩御飯を食べてしまい、今は深夜。
それでもお腹が空いたので、タバコを買いに行くという同居人にお願いして、チョコスコーンとコーヒーを買ってきてもらった。
片方はカロリー的に、片方はカフェイン的に、全くもって夜にそぐわない食べ物である。
ただスコーンは単体で食べることが許されていない食べ物のひとつだ。
絶対にコーヒーと一緒じゃないと、物理的に息ができなくなってしまう。
日本に産まれておきながら、私はスコーンやマフィンなどの焼き菓子に、どこか懐かしさを感じている。
母が作ることもあったからだろうか、店の味というよりは、素朴な家庭の味というイメージだ。
早速袋を開け、硬い側面にがぶりと齧り付く。
ほろほろと崩れる生地が優しい甘さを広げる代わりに、口の中の水分を奪っていく。
すかさずコーヒーを飲むと、スッキリとした苦味がスコーンの美味しさを際立たせてくれた。
大学の頃いつだったか、友達にタッパーいっぱいのチョコスコーンを作ったことがある。
きっかけはそもそも友達がそのタッパーで何かをくれたことなのだが。
借りた容器は空っぽにして返してはいけないと、どこかで聞いた教えを守りながら、いつもより慎重に料理をした。
とはいえメニュー自体はホットケーキミックスで出来る簡単なものだったので、特に大きな失敗もなく上手く焼けたのだ。
私としては何気ない気持ちで渡したのだが、友達は随分とそれを気に入ってくれたらしく、後日絶賛してくれた。
メニューまで尋ねてきたので、スクリーンショットを送った記憶がある。
その友達は、それより前にはちみつレモンを作って持っていった時も大層気に入ってくれたため、私は嬉しい反面どこか不思議な気持ちだった。
というのも、私からすればその友達は私よりよっぽど料理や美味しいものに精通していたのだ。
そんな彼女に褒められると、どうにもむず痒いような、腑に落ちないような、不思議な感覚に陥る。
最も、彼女はそんな私の気持ちなど1ミリも知らないのだろうけれど。
好奇心旺盛で自由気ままな彼女は、大学卒業と共に少しだけ離れた地へ飛び立ってしまった。
なかなか会えはしないが、恐らく元気でやっているんだろう。
どっしりとした夜のスコーンに思いを馳せながら、最後の一口まできっちりと堪能する。
こうやって不意に何でもないことを思い出すことが出来るだけ、既製品もありがたい。
でも今度は久しぶりに作ってみるのもありかもしれないと、また遠くになる約束を自分と交わしつつ、眠りにつくためにもう一口コーヒーを飲むのだった。