「食べたいものある?」と聞かれてなんでも、と答えたら、「本当にないの?」と寂しそうに聞かれたので、生春巻き、と答えてみる。
生春巻きは好物だが、巻くのが面倒なのと中に入れる具材をたくさん買う必要があるので、実際に作った事はない。
最近はスーパーでもよく生春巻きが売られているが、やはり時間が経っているのか、ライスペーパーが硬いのだ。
唐揚げは揚げたてが美味しいように、出来立てが食べられる、実家の生春巻きが今のところ一番美味しい。
妹は出かけているようだったので、母と二人で食卓に着く。
うちにはない四角いお皿。
一品一品、手のかかりそうな料理が並んでいた。
母と会うのは去年の夏ぶりだろうか。
少し皺が増えたように思う。
私が向こうで一人、過ごしている間、こちらでは色々あったと聞いていた。
どちらかと言うと喋ることが専門の母。
ころころと移っていく話題にどうにかついていきつつ、自分の中に出てくる子どもの心も殺さず、こちらからも話を投げかける。
母との会話はキャッチボールというより、ボールの投げ合いになっていることが多いように思う。
母は多分、話を聞くことが上手じゃない。だからこちらも躍起になってボールを投げる。
でも、母はそのボールに気づくことなく、自分の手にあるボールを投げてくるのだ。
厄介なのは、それで母自身はキャッチボールをしているつもりになっていることで。
きっとそういう部分に、妹は嫌気が差しているんだろうな、と思う。
同じ家だったら、確かにそうなのかもしれない。
サクサクとしたコロッケを箸で割る。
ひき肉がふんだんに使われていて、美味しい。
生春巻きにはサーモン。大根やにんじん、レタスにかいわれまで入っている。
それでも、料理に懐かしさは感じない。
色々変わっていっていると思うのだ。
人も、料理も、経験も。
色々なことがあった半年間。
私の話を聞く母は、それでも受け取り方を少し変えているように思えた。
受け取りはしないにしろ、横目でボールを眺めているような。
そんな些細な変化であっても、人を変えるだけの何かが起きていたのだと思う。
今の母だったら、半年前の私に何と声をかけるだろう。
そんなどうにもならないことを考えて、少し切なくなる。
重たい空気。払拭するように、わざと明るい声色で違う話題を投げかけてみる。
私達親子の間には、きっと互い違いのキャッチボールが丁度いい。
これから先も、きっと、ずっと。