朝に作って持っていくはずだったサンドイッチを忘れた。
家に帰り、風呂敷に包まれて冷蔵庫で眠ったままだったそれを取り出す。
せっかく目玉焼きも入れて、いつもより豪勢に仕上がっていたのに。
仕方ないので夜ご飯。
冷え冷えになったサンドイッチはパンと具材がよく馴染んでいて、幸いにもレタスはシャキシャキのままだった。
結局昼はコンビニで買ったサラダパスタ、夜はサンドイッチだ。
全く、おもちゃみたいな食事だと思う。
そんなおもちゃみたいなご飯とは裏腹に、休んでいた同期は「栄養」を趣味にして戻ってきた。
見かけだけだが、何となく元気そうだったのでとりあえずほっとする。
正直あまり好きな同期ではなかったが、それでも人が摩耗するのは見ていて心地がいいものではない。
話を聞けば、休んでいた期間に暇だったから食事について学んだらしい。
すると、食習慣が健全になって色々と調子が良くなったのだとか。
水を4リットルの飲むと豪語する彼の横で、苦笑いをしながらコーヒーを飲んでいた。
健康に気を使った食習慣は大事だと思う。
というか元来そちらの方が優先されるべきことのような気がする。
多分、栄養にしろ睡眠にしろ、忙しさにかまけて蔑ろにしている場合ではないのだ。
生きていく上ではむしろそちらが重要なのだから。
とはいえ、あまりこの重要性に気づいている人はいない。
どちらかといえば食べなきゃ、寝なきゃ、というより、みんな働かなきゃ、と思ってる。
そりゃ疲れるわけだ。
素のままかそうでないのか、大きなペットボトルを手に笑う彼を見る。
復帰するのも辞めるのも、全部彼次第だし、正解も不正解もないと思う。
けれど、一度生活の重要性に気付いてしまったら、前のように頑張るのは難しいんじゃないかと勝手に思っている。
だから、きっと今の彼に必要なのは頑張れる力でも辞める決断力でもなく、ただ自分の大事なものを見据える目だと思う。
何も受け入れられないまま、がむしゃらに頑張ることは案外出来ないものなのだ。
色々な歌やお話はあらゆる手を使って私達を励ましてくれるけど、現実はなかなか上手くいかない。
自分を大事にしてあげられるのは自分だけだと思うし、そうしなければならないとも感じる。
こんなことを言っているが、まあ私が彼をどうこうできるわけではないし、しようとも思っていない。
全て彼の話だし、私の話じゃないから。
ただ辿々しいまま無理に心と体だけを動かして、また苦しい思いをするのはやめて欲しいな、と。
他人事のように思うのだ。